ピンクとキラキラ

世界の終わりに寿司が食べたい。

サボタージュ

最近学校をサボっている。

火水木とある19:00〜21:30の授業をサボっている。

 

サボる、というのはなんて甘美な響きなのだろう。

サボる、と言いたいだけのような気もする。サボタージュ

 

話は変わって、大学の時に入っていたゼミ内で「えこひいきの会」というのがある。

その名の通り、ゼミの先生と、先生が個人的に気に入っている同学年の生徒(わたし含めて3人)で構成する会であり、主な活動はお酒を飲みながら最近あったことを報告する(特に悪いこと)、呑んだくれながら先生の虚弱なメンタルを回復させる、といったところ。

 

「えこひいき」の是非に関する先生の言い分としては、

大学在学中は全員同じ授業料を払って、それぞれの熱量を持ってゼミに参加しているわけだから、教授によるえこひいきは許されないが、

一旦大学を卒業してしまえば、授業料も熱量も関係なくなり、ゼミにおけるディスカッションで考え方や性格を見て「えこひいき」したいと思っていた元・生徒を、元・ゼミ教授が個人的に会合に誘うだけであるので問題ない。

という、なんだか納得させられてしまう理屈である。

 

ちなみにわたしの学年は「えこひいきの会」という名前であるけれど、上の学年にも下の学年にも同様の理屈にて結成された様々な会が各学年1つは存在する。

教授の闇を感じる。

 

さて、その「えこひいきの会」のお誘いが久々に来た。

残念ながら参加はできないけれど、どんな話が繰り広げられるのか、想像するだけで楽しい。

 

ちなみに、うちの学部のゼミは、各ゼミの説明会があり、希望を出した後、教授との面接とそれまでの成績で選抜されるのだけど、

だいたいのゼミは成績がよければ入れるところばかりのなか、

うちのゼミは、成績はほとんど見ず、教授が「こいつ面白いな」という独断と偏見により選抜されたメンバーが集まるので、ディスカッションが本当に面白かった。

教授の独断と偏見で選ばれたとはいえ、考え方や性格が偏っているかといえばそうではなく、確かにちょっと変わった人たちの集まりだったのだけれど、「ディスカッション・議論を盛り上げることのできる能力」が高い人が多いという感じだった。

というのは、ディスカッションというのは1つの議論について賛成反対に別れて意見を戦わせるものだけれど、

だいたいの場合、用意してきたこちら側の意見と想像していたあちら側の意見がぶつかって、想像の範囲をでない結論に落ち着く。

私はそういうやる気のないディスカッションしか経験してこなかったのだけれど、このゼミではそんなディスカッションなどなかった。

ディスカッションは、用意していたこちら側の意見と、想像していたあちら側の意見がぶつかるところは同じなのだけれど、そのぶつかり合いが、どんどん具体的な事象の議論から、社会学的な議論に昇華していくのだ(社会学部なのでね)。しかし元の議論は忘れず、よって議論は2時間も3時間も続いたこともあった。

それは決して平行線ではなく、どんどん登り続けていく螺旋のように、ときに尽きないおしゃべりのように、続いて、広がっていく私たちが作り出す世界は、あらゆる議論の可能性に満ちていて美しかった。

 

私はそのゼミは一度もサボらなかった。

一回とてその世界を体感するチャンスを逃したくなかったから。

 

あのゼミは、サボタージュという甘美な響きを超えた、美しい世界だったのだ。

 

なーんて、ちょっと詩的に書いてみたかっただけです。

 

でも、本当に、教授もゼミ生も面白い人たちで楽しかった。

その中でも、「えこひいきの会」メンバーは厳選された感がすごくて、ただの教授の個人的好みなだけなのだけど、ちょっとやっぱり誇らしい気持ちがある。

 

今回の「えこひいきの会」行きたかったな〜〜東京行きたいな〜〜はあ。

勉強がんばろう。

 

 

p.s.ひよっこ過保護のカホコも、怒涛の展開に入ってますね。目が離せません…

先日、彼氏に「8m位離れたところから目を細めると有村架純に似てる」と言われました。腹パンはしました。

 

サラウンド

サラウンド

 

思いやりの誕生日

昨日は彼氏の誕生日だった。

 昼前に集合して、めちゃくちゃおいしいケーキ屋で2人ぶんのケーキと、2と4のろうそくを買って彼氏の部屋の冷蔵庫に入れる。

雨降りそうだね、と洗濯物を2人で部屋に干していると案の定ザァザァと雨が降り始める。勘が冴えている。

ちょうど土用の丑の日なので、うなぎを食べに街へ出る。一番安いうな重と、うまきを頼んでお腹いっぱいにした後、

こないだ行ったオシャンなカフェへ、食後のコーヒーを飲みに。

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この間は空いていたけど、昨日は割と混んでいて、お洒落ボーイやお洒落マダムたちが談笑する空間になっていた。

 

夜ご飯までの時間、映画を観たいという話になり、上映中の映画を探す。

ちょうどいい時間に、みんな大好き「ミニオンズ」シリーズの、「怪盗グルーのミニオン大脱走」が駅前のトーホーシネマズでやっているのでそれを見に行った。

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グルーの双子の兄弟が出て来るのだけど、最後のクレジットまで聴き覚えのある声が誰かわからなくて、結局、生瀬勝久だったんだけど、なんか「あぁーーーーー!!」という、やっとわかった時の爽快感はなくて、じめっとした。

天気のせいかな。

ミニオンたちは相変わらず可愛かったけど出番は少なかったな。でも、刑務所でのミュージカル調な脱出劇はめちゃくちゃよかった。

 

ちょうどよい時間に映画を観終わり、晩御飯を食べに行く。

 

あらかじめ、何が食べたい?と聞いておいた時、案の定「分厚い肉」と言われていたので、ちょっといい焼肉屋を予約していた。

サーロインの分厚い肉を始めとして、良い肉を腹八分目の法則で食べようと決める。

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どれも、脂が乗っていて美味しい。

ビールも、昼間に我慢した甲斐があってとても美味しかった。

お酒の二杯目。

そういえば彼氏は赤ワインが好きだったな、と思い出し、(私はちょっと苦手なのだけど)赤ワインをハーフボトルでもらうことを提案したところ彼氏も「いいんじゃない」と賛同したので頼む。

しかし、彼氏がグラス一杯ほど飲んだところで「俺、赤ワインダメだわ、、きついな」と言った。

「え、前好きだったじゃん」と私。

「それ、かなり前の話でしょ…」と彼氏。

どうやらお互い苦手なのに、どちらも「相手が飲みたいというなら、まぁいいか…」となり、そして彼氏は「やっぱダメだった」らしい。

そして彼氏のために頼んだ自称・酒豪の私もグラス3杯ほどでダメだった。

お互いに「そうならそうと言えよ…」みたいな空気になったけど、そもそも私が、自分が苦手なものを勝手な思い込みで提案してしまったのだから、申し訳なかったな、と思い直す。

グラスワインを4杯飲んだと思えば、そんなに気にするほどの値段ではなかったので、そのワインは料理用に持ち帰りにしてもらい(もったいない)、それぞれ彼氏は梅酒のロック、私はあらごし林檎酒の水割りを頼んだ。

私は滅多に甘いお酒を飲まないので「明日台風が来るんじゃないの」と彼氏に驚かれた。

甘いので口直ししたいくらい、赤ワインが苦手なのだ、と言うのはやめておいた。

 

私と彼氏は、仲が良いし、お互いに思いやることもできるし、「ありがとう」「ごめんね」をちゃんと素直に言い合うことができる間柄だけれど、

たまに、勝手な思い込みで、

優しさだと思って無理をしてしまい、

またそういう時に限ってその優しさが裏目に出たりして、

そうすると自分が無理をしているから「やってあげたのに」感がこみあげてきて、

気まずくなる。

ということが多々ある。

押し付けがましくなく思いやろうという意図から、ちゃんと確認したりせずにそういうことになってしまっているので、もはや押し付けがましくてもいいから、その都度、ちゃんと言葉にして確認しようと思った。

相手のことを想っているが故の優しさが、ただの押し売りにならないように気をつけなきゃいけないな。

 

 

結局、いい脂を腹八分目どころか満腹まで詰め込んでしまい、ワインの一件は忘れて陽気な気分で、彼氏の部屋で待つケーキの元へ帰る。

 

ケーキは幸せの元だ。

誰だかが、好きな食べ物をケーキと即答できる女の子になりたい、みたいなことを言っていたけど、ケーキを食べている最中だけは、好きな食べ物はケーキだと言い切れる。

食べ終わった瞬間からはわからないけど。

 

彼氏の24歳の抱負は、「色々頑張る」だそう。

そうだね、頑張ることは大事だね。

 

頑張れる人は偉いです。

頑張ろう。

 

 

こないだの、オールナイトニッポンGOLD満島ひかり回、めちゃくちゃよかったですね。

 

 

25歳、スタート地点にいる気分で

犬が最近、脱走することに関してだけ賢くなってゆく。
脱走しては捕まり、そして涼しい顔をして寝ている。
暑い中、仕事中に犬を追いかけ回す身にもなって欲しい。


昨日の夜、友達に急に呼び出されて、仙台の歌舞伎町こと国分町で飲んだ。
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その友達は中高と一緒で、大学に入って1年ほど一緒に暮らしたこともある。
首都圏の国立大を出て、今は都内の音楽配信やメディアコンテンツなどをつくる会社に勤めている。

もうひとり、私と同時に呼び出された人がいた。
高校生の頃、その子も含めた三人で、同じ塾に通い、今はなき「おはしcafeガスト」のドリンクバーで茶をしばいた仲だ。(ハーブティや日本茶が充実していた)
こちらは地元の国立大の放射線学科に進み、今は市内の病院で放射線技師として働いている。

どちらかと二人では、数ヶ月に一度は会っているけれど、三人で会ったのは実に3年ぶりだった。

わたしたちは、三人でつるんではいたものの、それぞれ高校でよく一緒にいる友達が被らない。
部活も違うし、趣味もなにもかも一致しないのに(共通して好きだったのは、おはしcafeガストくらいなものだ)、一緒にいると心地いいのだ。
高校生の時からそうだったし、今回も変わらず昨日会ったかのようなテンションで集合した。
収拾かけられたの、ものの数時間前なのに。
そういう人って、いるもんだな。


ここ一年で、三人とも体調を崩したり病院に運ばれたりしていて、何だか25歳という年齢をかみしめる。

1人は、疲れた時にホルモン剤を飲んだら体に合わずアナフィラキシー反応で自分でタクシーを呼んで病院に駆け込んだらしい。

また1人は、部署が変わって忙しい時に、深夜に急性胃腸炎になって救急病院に運び込まれたそう。

 

昔、おはしcafeガストで話していたのは、塾でかっこいい人の話とか、好きな音楽の話とか、学校での面白い話とか、そういうごく普通の女子高生がしていた話で。


今、25歳になって話すことは、仕事の大変な話、お金の話、体調の話、そして昔話。
なんだか、可愛くなくなってしまったね、なんて笑った。それも楽しいのだけれど。

 

確かに、まだまだわたしたちは若いけれど、もう手放しに今だけを考えて突っ走れる時は終わりつつある。

仕事にしたら、この先のキャリアだけじゃなくて、結婚や出産という自分の人生含めて、今のままでいいのか、転職するとしても自分の気持ちだけじゃ決められないフェーズにきている。
学生の時に想像してたよりもずっと、この社会の「働き方」には幅がある。働き方は、「生き方」とも言える。

 

お金だって、新卒1〜2年目は貯金なんていくらもなくても何にも心配していなかったけれど、それこそ病院に運ばれたり体調を崩したりした時に、必要になるのはまとまったお金だ。
今後、結婚するにしろ、一人で生きていくにしろ、自分の財産というものをこれから徐々に形成しなければならないことを実感している。

 

そして、「身体が資本」だということ。
もちろん、仕事をする人間として、自己の体調管理というのはある程度責任を持たなければならない。でも、一生懸命仕事をしている人間にとれば、気をつけるにも限度があり、特に私たちくらい若ければ少しばかりの無理はつきものと言ってもいい。そして、ここ一年の私たちみたいに体調を崩したりしてしまうことがある。
そういう時に、私たちは「この身体」で「自分の生活」を支えているということを実感する。もしくは、万が一の時には他人を頼らざるを得ないことの情けなさと頼れるありがたさを思い知る。
そして私たちは自分の体を守ることも含めて仕事である、と身をもって知る。

すぐそこに見える三十代、その先にある四十代、私たちの体は今のままではいられないだろう。
それでも、「この身体」で「自分(どころか家族がいるかもしれない)の生活」を支えなければならないことを考えれば、今からこの身体をしっかり守っていこうと思う。
健康診断をちゃんと受けるとか、どうあがいても無理をするしかない仕事は離れるとか、ちゃんと栄養のあるものを食べるとか。そういうことでいいと思う。

 

これから、この先たくさんの「選択」が待っているんだろうと思う。

その喜びや、辛さや、痛さとか、哀しさとかはまだまだ想像するしかできない「ヒヨッコ」の25歳だけれど、それでも今、少しその選択にむけて「今だけを考えない今」を生き始めている。

結婚を決断する同級生も、

転職を決断する同級生も、

留学を決断する同級生もいる。

 

みんな、目に見える決断をしている人たちも周りにいる中で、

きっともうすぐ、自分にも来る「その時」に、少しでも多くの、良質な、選択肢を生み出すために、私たちは選択の準備をしているのだなぁと思う。

 

お題について書く気はなかったのですが、友達と話したことが割とそういう話だったので書いてみた。

 

そういえば私は24歳で仕事を辞める決断をしたのだったと、ここまで書いて思い出した。

仕事を辞めた話 - ピンクとキラキラ 

この決断は忘れたくないけど、 

25歳、これからの決断への意欲の方が高いみたい。

まだまだ若いぞー!

ベトナム料理を食べながら

昨日は、学校のあと、気になっていた隠れ家カフェに寄ってオシャレにお茶した。

 (自意識が邪魔して、入口しか写真に撮れなかった。)

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そのあと、ドトールで勉強して(ドトールを三件ハシゴした)、

夜ごはんは、高校の時の友達のCちゃんとベトナム料理をたべた。

 

 

 

Cちゃんは、高校のとき休学して1年間アメリカに留学していたので、元クラスメイトだけど年齢は1つ上。

タメ口で話すから、年の近いお姉ちゃんみたいな感じだった。

Cちゃんは、頭がいいのでめっちゃ話が面白い。Cちゃんにかかれば、箸が転んだことさえゲラゲラ笑える話になる。

たぶん病気や留学で苦労もしているのもあって、その優しさも飛び抜けて大人だった。

 

そんなサイコーなCちゃんだけど、会うのは実に4年ぶりくらいだった。

大学のときに、何人か高校の同級生で集まった時以来。

なかなか会うタイミングもなく大学を卒業し、Cちゃんは地元企業に就職し、青森に赴任していたのだ。

今月、Cちゃんが仙台に転勤になったことをSNSで知り、会うことになった。

 

 

久しぶりに会って、接し方に戸惑うのはものの2秒で終わった。

高校の友達に会うと、大学の友達とはまた違った安心感があって、テンションやしゃべり方まで、一瞬で高校生の時に戻ってしまう。

Cちゃんも、ここ数年で色々あったのだろうけど、高校生の頃の雰囲気がそのまんま残っている気がして、とても嬉しかった。

 

ベトナム料理屋に着いて、大学を卒業してから今までを簡単に報告し合う。

話を面白おかしく脚色して、ゲラゲラ笑った。

わたしの激務ぶりも、Cちゃんのホワイトぶりも、めっちゃ笑った。

過去の恋の話も、ちょっと憂鬱な家族の話も、最初は真面目に話しているのに、Cちゃんと話しているといつのまにか笑い話にしているから不思議。

 

あ、ベトナム料理もとても美味しかった。

仙台にはエスニック料理屋が少ないので、エスニックまみれの池袋で学生生活を過ごした私は近頃、東南アジアが不足していた。シンハービールとか。

 

エスニック料理とか好き?、と提案した時にCちゃんが「毎週食べてもいいレベルで好き〜〜」と言ってくれて、Cちゃんに対する好意が爆発しそうになった。

 

久しぶりに食べた生春巻きは天才的に美味しかった。

スイカビアというのを頼んだら、匂いがめちゃくちゃスイカバーでまた笑った。

 

そういえば。

大学の時に、Cちゃんとアメリカ旅行へ行って、Cちゃんがホームステイしてた家に一緒に泊まらせてもらった。

内陸の田舎の州で、軽い牧場くらいの敷地を持ってる家だった。家も大きかったけど、敷地のほとんどは草原と森で、野生の馬が走っていた。

 

私とCちゃんは、遠くに走る綺麗な毛並みの野生の馬を見て、ゲラゲラ笑っていたのだった。

 

その頃とは変わらずに、思い出話や近況報告報告で4時間近く喋り、笑い倒して別れた。

ほんとーーーに久しぶりに、「ゲラゲラ」と笑った気がして、お酒なんか少ししか飲んでなかったのに笑い疲れていた。

 今度はビアガーデンに行く約束をして駅でわかれた。

 

帰りの電車で、読みかけの谷川俊太郎のエッセイを開く。

 

 

ひとり暮らし (新潮文庫)

ひとり暮らし (新潮文庫)

 

 1980〜90頃の、いろんな新聞や雑誌への寄稿をまとめたものであるのだけど、なかなか笑える。

 

70歳のおじいちゃんが、恋と宇宙の話などするので、少し笑ってしまった。ごめんなさい。

 

 無事家に着いて、湯船にこれでもかと浸かって、扇風機で汗を乾かす。

 

腹筋を最近サボっているのを思い出して、あわてて50回やってから寝た。

 

 

春に [混三]

春に [混三]

 


 

 

 

遺言書のすすめ(ちょっと訂正しました)

路線バスの運転手さんは、ほとんどみんなマイクをつけている。

 

「次、カーブします」とか

「お降りになる方、いらっしゃいませんか」とか

「発車します」とか

いわゆるアナウンスのためのマイクをつけている。

 

今日の朝、自宅の近くからいつものバスに乗った。

そこから駅まで、ずっとスピーカーからかすかに、運転手さんの歌う、決して上手いとは言えない演歌らしきものの、鼻歌が聴こえていた。

バス全体が、なんとも言えぬ空気に包まれていて苦しかった。

 

今日は学校だったのだけど、昨日わりと夜中まで勉強していたせいか、眠くて眠くて仕方がなかった。

心なしか、先生の授業も何だか少しばかりなおざりに感じた。

 

今私は法律を勉強していて、遺言についても、学習した。

 

難しい話はしないので聞いてほしいのだけど、

民法961条には

15歳に達した者は、遺言をすることができる。

とある。

知ってました?中3から、誰にも干渉されず1人で有効な遺言を作成できるんですよ。

 

有効な遺言というのは法律で形式が決まっていて、その形式をなしてないと遺言としての効力が発揮されない。

でも、一番簡単なものだと

・すべて自筆(PCやワープロ、代筆は不可)

・書いた年月日と氏名が書かれていること。

※最初に公開したものに生年月日って書いてしまってました!すみません!

・押印(認印でも可)

が満たされていれば、有効な遺言になる。意外と簡単なのだ。

 

私は18歳の誕生日から毎年、この遺言書を作成している。

べつに、私には相続で揉めるようなたいした財産はないんだけども。(だいたいの遺言書は相続のために書く)

ちょうど遺言書の重要さとかに注目が集まった時で、面白そう、くらいの感覚で書いたと思う。

 

毎年、前年のぶんは捨ててしまうのでうろ覚えだけど、18歳の誕生日に書いた遺言書の内容は

 

死んだら連絡してほしい友人の連絡先と、

なけなしの財産はカンボジアだかユニセフだかに寄付してほしいことと、

骨はたぶんうちのお墓に入れられてしまうけど、少しだけ太平洋に散骨してほしいことを書いた。

気がする。

 

何だか高校生の発想だな。

 

でも、これ以降毎年、死んだら連絡してほしい友人の連絡先は書いている。

 

19歳になって、家を出て東京で学生生活を送っていて、付き合う友人の連絡先は全て携帯に集約された。

そのうちLINEのidしか知らない友達も増えた。

facebookでしか交流のない人や、昔交換した電話番号しか知らない人もいた。

 

もし、自分がうっかり心の準備なく死んだ時。(これは割と大いにありえることだと思って生きている)

親はきっと、そういう人達に連絡をとることが難しいだろうし、もはやそんなことは煩わしいと思うかもしれない。(誰よりも悲しんでくれると思うから)

 

でも、今の私の大部分は、出会ってきた友人たちに大きく影響されて作られたと思うから。

だから、私が死んだことを知って欲しいな、と思う人は、なにも親と面識があったり、頻繁に会ったり連絡をとったりするひとに限らない。

 

そういう考えで毎年遺言書の最初は、

・携帯の暗証番号

・連絡してほしい友人の氏名と連絡先

FacebookTwitterなどSNSのIDとパスワード

という個人情報の羅列から始まる。

連絡してほしい友人たち、なるべく連絡網方式にしているけど、だいたい20人前後はいるので、ちょっと連絡する人に申し訳なくなっちゃう。

でも、私が死んでしまったということは、それくらいには大変なことなのでしょうがない。

遺言書が開かれる時、もう私はこの世にいないから責められることもないし、開き直りは大事。

 

あとは、コツコツ貯めている貯金の行方は、19歳の時からは毎年、赤十字の震災復興基金にしている。

 

親になにを残そうと考えるけど、毎年全然思いつかなくて(たぶん金品などは受け取ってもらえない)、遺言書とはちょっと違うけど感謝の手紙を書くようにしている。毎年書いているので慣れてしまって、ちょっとおべっかが過ぎて嘘くさくなってきた。

でも、それくらいが丁度いいのかな。

 

弟と妹には親などからもらった貴金属類をあげることにしている。

他に思いつかなかったから。

 

彼氏には、なにもあげない。
あげたらきっと捨てられない人だから。

 

 

なんだか、自分が死んだ時を想像すると悲しいし、

「ウワァァ死にたくないよオオオ!!」

となるんだけど、

人間いつ、うっかり死ぬかわからない。そう思うと色々思い残すことを思いつくので、遺言書でもって思い残すことを少しでも減らして、もしうっかり死んでも、死ぬ間際に考えることが

「え!うそ!今?色々ヤバイ!」

とかじゃなくしたい。

 

他のことをなるべく考えずに、ただ

「死にたくない!」

と生にしがみつきたい。

とは言っても、いざ死ぬ時になれば思い残すことなんて山ほど出てきそうなんだけども。

 

 

そういえば、この間テレビで終活について特集が組まれていたのを両親と見ていたときに、ちょっといいことを聞いた。

 

ちょっとした事情で、父と母は幸せに死んでも同じお墓に入れない。

それは悲しいと言った母に、父は

「俺が死んだ時に、骨をこっそり一握り持っておけ。それで自分が死んだ時に一緒に入れてもらえ。」

と言ったらしい。

 

たまにはいいこと言うじゃないか、父。

 

父と母の間では、父の方が先に死ぬということがほぼ確定しているのが可笑しい。

 

その夜のテレビで、死者が憑依したという霊媒師が、

「死んだ年月日が一緒じゃないと、こっちの世界(死後の世界)でもなかなか会うのが難しい」

と言っていたのを聞いて、母ががっかりしていた。

 

ともあれ、骨の話は今のところ私しか知らないので、弟とかに信じてもらえなかったらアレだし、ちゃんと遺言しといてね、と言った。

両親はまだまだ生きるつもり、死んだらその時、という考えらしく、

「エーーー、まだ早いよ〜〜」

と言っている。

 

まあ、それもアリなのかな。

 

 

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ハートのキュウリと自意識

 

犬が毎日、ほぼ寝てる。

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死んだように寝ているので、心配になってたまに安否確認のために起こすけど、目だけ開けて「暑いからおきたくない…寝させてくれ…」

とつぶらな瞳で訴えて来る。

起き上がったかと思えば、それまでより涼しい場所を探してはまた寝そべり、目を瞑る。

 

犬はいいなぁ、気楽で。

 

わたしも、誰かに「いいなぁ、気楽で」と思われてるんだろうか、なんて考える。

 

学生の頃だったら、心の中で、猛抗議していたと思う。

なんであなたに気楽だと決めつけられなきゃいけないんだ、人の大変さを決めつけるな、とか言って。心の中でね。

 

いまでも、言われたら腹は立つけど、なんだか「ラッキー」と思えるようになった。かもしれない。

わたしはまあ、多分それなりに頑張って生きてるんだけど(自己肯定力)、その必死さが表に出ていないというのは、

まだまだ余力があるってことだし

競争相手を油断させられるってことだし

涼しい顔して頑張るというのは、なかなかカッコいいんじゃない。

とか思っちゃう。

 

必死さというのは、滲みでりゃいいってもんじゃない。

もちろん、時に滲み出た必死さはカッコいいけれど。

気楽だなと思われてるんなら、涼しい顔して成果だそうと思う。

 

 人と接する時に見えるものを額面通り受け取るのは簡単だけど、見えてるもののその奥にある努力とか大変さを想像することは、マナーであり思いやりだよな、と思います。

それが難しい時は、せめてそこを決めつけないようにしたい。

 

そんなことを言いながら、人にどう思われるか必死に考えてしまうのですけどね。

相手の想像力って、なかなか信頼するのは難しい。

気楽って思われたくなくて、頑張ってますアピールをついつい挟んじゃったりする自分がいる。

難しい25歳の自意識。

 

まあ、だから人のことを簡単に「いいなぁ、気楽で」って言っちゃう人って、浅はか?と思ってしまう。 

あ、ブーメラン。

わたしが言ったのは犬に対してだから、ちょっとは許してほしい。

 

そもそもこの文章がお気楽な気がしてきた。

 

 

今日の家族の夕飯、

なすと豚肉の胡麻味噌炒め

きゅうりとジャコのポン酢和え

トマトのおひたし

という三大夏野菜おかずにした。

 

我ながら天才的メニューだからSNSにでもあげて料理してますアピールでもしようかと思ったら、完成形を写真に撮るの忘れた。

 

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近所のおばあちゃんからもらったキュウリ、断面がハートだった。

 

これはちょっと、ハートとか柄じゃなくて恥ずかしくてSNSには上げられないな。

 

25歳、自意識の壁は高い。

 

医者の大沢たかお、それすなはち

母が今日、頭痛があまりにもひどくて市外の頭痛外来に行った。

開院時間直後に行ったにもかかわらず2時間待ちしたとのことで、さぞやお疲れかと思いきや、ルンルンで帰ってきた。

 

「病院どうだった?」(頭痛の原因や診察の結果はどうだったか、という意味)

と聞くと 

「あのね、先生がめっちゃイケメンだった!!!!」

 

大沢たかおにクリソツだったらしいです。そりゃよかった。

 ホームページで写真見たら、本当にクリソツだった。

ちょうどいい具合(キラキラしてなくて緊張感を抱かない感じ)のイケメンは本当に素晴らしい。

 大沢たかおが医者といえば「仁」ですね、観たことないけど。

 

JIN-仁- DVD-BOX

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今日は、午前中に前職の先輩(以前記事に書いた人とは別)から電話が来た。

優しくない先輩 - ピンクとキラキラ

8年勤めた女性の先輩が退職するそうで、送別会で流すビデオに入れるコメントビデオが欲しいとのこと。

 

「今日の夜中から編集開始するから、明日の朝くらいまでにあればいいよ」

 

とフツーに言っていた。

やっぱりあそこは異世界だ。

働き方改革はまだまだ遠い。

 

 

明るい未来

明るい未来

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今日はずっと、クーラーをつけずに扇風機だけで、never young beachの「明るい未来」を聴きながら勉強していた。

汗をかきながらの方が、なぜか集中できるから不思議。

 

久しぶりに、去年の誕生日に彼氏にもらったMHLのワンピースを着たんだけど、めちゃくちゃ気に入っているのに母親は「東南アジアの小学生みたい」と言うの、地味にショック。

おさげを結おうと思ったけど、左右対称に三つ編みできなくて断念した。

 

 

 

昨日の夜、学校のあと、会社が休みの彼氏に「家まで車で送って」とLINEしたら「過保護のカホコ観てからならいいよ」と言われたので一緒に過保護のカホコ見た。

 

カホコの挙動不審さは、のだめカンタービレ野田恵のそれだよね。

 

 

帰ったらパジャマに着替えてすぐ寝てしまった。

 

今日こそ湯船に浸かるぞ〜

 

なんもない日

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