ピンクとキラキラ

世界の終わりに寿司が食べたい。

優しくない先輩

前々回の記事(ノートが好き。 - ピンクとキラキラ)でちょっと触れた、私によく「本気でやれ!」と怒鳴っていた先輩のことをいろいろ思い出したので、まあまあ面白いし書き留めておきたい。

 

先輩、すみません!

 

まず、先輩とは入社後半年、つまり2015年秋くらいからまるっとほぼ一年ほど、2人でいろんなプロジェクトを担当してきた。

担当、というのは、プロデューサーが代理店からとってきた案件を、制作進行する、ということ。

 

制作進行とは、具体的には、監督やカメラマン、照明屋さんやスタイリスト等を発注したり、代理店との打ち合わせを組んだり、キャストのオーディションを行なったり、撮影場所をおさえたり、クライアントへの資料を作ったり、編集を仕切ったり。仕事はありすぎるほどある。

撮影の時に、「カチンコ」と呼ばれるアレをカチン!とするのも我々の役目。

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これらをベテランの先輩と手分けして進めていく。

先輩は、実質CM業界10年目の人だったので、ベテランの域。なんなら1人でも出来ちゃう。

つまり、わたしは先輩にベッタリついていろいろ勉強させてもらっていたということだ。

 

ここでちょっと先輩という人間を想像してほしい。

見た目は、背が低くてガリガリで目つきが悪くて、無精髭を生やしている。少年おじさんって感じ。

(免許証の写真は「ガラが悪い」を体現していた。)

お酒もタバコも高校生からやっていて(ダメ、絶対!!)、バリバリ北関東の不良なのに、出身高校は県内トップクラスの進学校。

一浪して、都内の芸術系大学に進み、映像を学んだのかと思えば、「専攻は染色だよ、悪りぃかバカヤロー」。

(染色!)

先輩は、声は小さく無口だけども、社内でもトップレベルに体育会系で、殴りこそしないけれど、

・舌打ち

・怒鳴る(普段は声小さいくせに急に怒鳴る)

・椅子を蹴る

という3コンボ技を持って、私という新入社員を威嚇…もとい叱咤激励していた。

 

しかし、先輩はある意味プロで、取引先の前ではそんな柄の悪さをおくびにもださず、ニッコニコし、テキパキと仕事をこなす、信頼の厚い人だった。

 

それに対して、私は、新人ということを差し引いても、あまりにも鈍臭く、言われたことすら満足にこなせず、何度も尻拭いさせてしまうこと数えきれなかった。

よく、撮影で急に必要になるものを想定できなかったり、打ち合わせで急に言われた資料をパッとだせなかったり、タレントの部屋に入れるストローをかき氷用のストローにしてしまったり(これは一回だけ)した。

そのたんびに、

「本気でやってないからこういうことが起こるんだよ」

「シュミレーションしろ。何が起こるか、その時何が必要なのか、いつでも何回でも考えろ。」

「そんなんだと、1人になった時何もできないからな。俺は知らないよ。ちゃんとやれ。」

もうちょっときつい言葉だったけど、こんなことを言われていた。

 

 わたしはわたしなりに、ほんとに本気でやっていたし 、たくさんシュミレーションしたし、いつかは1人で担当したいと思ってやっていた。

 

それでもいつでも先輩をイライラさせてしまうポイントをしっかり抑えてしまうらしく、最終的には撮影現場でスタッフたちの前でガンガン怒鳴られ、スタイリストのお姉さんに「だ、大丈夫…?」と恐る恐る声をかけられてしまったりする。

わたしと仕事をするようになってから、先輩は「撮影の時だけキレるPM」というレッテルを貼られてしまった。本当は私のせいで毎日キレているのに。

 

でも、先輩は良くも悪くも体育会系で、よく私を飲みに連れて行ってくれた。たぶん、可愛がってもらっていたのだと思う。

プロデューサーに、よく先輩と二人で飲みに行くと言ったら、「あいつとサシで飲めるのお前くらいだよ」と言われた。

確かに、先輩は声は小さいから居酒屋では掻き消されるし、私の話をつまらないと言う割には自分の話もわりと下世話でつまらなかった。

私をガールズバーに連れて行ったのはいいけども、先輩は女の子と満足に話せず、逆に私が女の子と盛り上がってしまった。

カラオケスナックに連れていかれ、歌えと言われて歌っていると、いつの間にか先輩はベロベロになって寝ていた。

 

それでも、誘われればフラフラついて行っては、先輩の昔の話や、90年代のトレンディドラマが大好きな話を聞きながら私もベロベロになって、彼氏に怒られていた。

 

ももちろん、楽しいことばかりじゃなくて、ある時には、やっと予約の取れためっちゃ美味しい焼肉を食べながら、最近のわたしの失敗について懇々と説教されて、滅茶苦茶に泣いて、全然肉の味がしなかった。

 

先輩が後輩を飲みに連れ出すのは、もはや少しの強引さがあっただけでパワハラアルハラと言われる昨今。

でも、私と先輩という間柄においてだけ言えば、社内でいつも怒鳴られてばかりいたからか、飲みニケーション(死語なのかな)は本当に大事だったし有り難かった。

 

先輩が怒るのも怒鳴るのもイラつくのも、たぶん私の成長を願ってくれているからこそだというのは、痛いほど伝わってきた。

先輩は、

「お前の思うようにやってみろ」

「自分なりにやってみろ」

「お前がいいと思うものを選んでみろ」

「ダメだったらちゃんとすぐ報告しろ、俺がなんとかするから」

と、私の自主性を尊重してしっかり「指導」してくれていた。

まあもちろん、自分なりにやった結果がダメだったらめっちゃ怒られるんですけど。

でも、忙しい中にあって、仕事を覚えるには、自分で考えて自分で失敗することが大事だと、身をもって感じた。

先輩のおかげで他の上司に成長を褒められることもあったから、毎日怒鳴られていただけではなかったのだと思う。

 

誤解を与えないように言うと、CM制作会社としての雰囲気は、もっと和やかでアットホームな感じだった。

舌打ちは他にもする人はいたけれど、怒鳴ったり椅子を蹴ったりするのは、先輩が私に対してだけだったように思う。

他の上司たちは、わたしがパワハラとかを理由に辞めたり滅入ったりするのを心配して、「辛かったら相談しろよ」と言ってくれたけど、人に相談するほど辛いとは思わなかった。

多分、先輩がうまく私をサポートしてくれていたからだと思う。

先輩は、昔のもっと厳しい体育会系かつ理不尽な環境の中で、野心を持って続けてきた人だった。

あんなに怒鳴られても大丈夫なんて、メンタル強いね、とよく言われたけれど、たぶん、根気強く私を面倒見ていた先輩の方がメンタル強いと思う。

 

私がやめるまでの数ヶ月は、一蓮托生、みたいな感じだった。

先輩はプロデューサーに昇進する一歩手前だったから、だいぶ大きな案件を何件か抱えることもあって、私がつきっきりで細かい仕事をしないと回らないこともよくあった。

 

会社で送別会をしてもらった時に歌った、山口百恵の「さよならの向こう側」は完全に先輩に向けていた。

 

私の代わりはいくらでもいる。

だから多分先輩は今でも、わたしより出来の良い後輩と、変わらずに仕事をしていると思うし、

私より前にも、先輩と一緒に仕事をしていてやめて行った人たちがたくさんいる。

先輩にとっての私は、大勢いる「かつての後輩(出来は悪いが酒の付き合いは良い)」の1人だと思う。

 

でも、私にとって、

あんなにわたしを怒り、怒鳴り、懲りずに面倒をみてくれる人は、この先現れないと確信している。

 

会社での繋がり以外、本当に何もなく、LINEも知らなければ、休日に飲みに誘われたこともない。

※一度だけ、恵比寿マスカッツのライブに誘われたけど、丁重にお断りした。

 

会社を辞めた今では、かろうじて、万が一の為にと登録した、先輩の会社用携帯の番号を知っているだけ。

 

これからどんどん、前の仕事のことは忘れていくし、話もしなくなるだろう。

新卒で入ったとはいえ、たった1年半の出来事は、どんどん霞んでいく。

 

でも、あんなにわたしのために怒ってくれた先輩の事だけは、絶対に一生忘れないと思う。

 

 

 

 

何だか壮大なラブレターになってしまった。

ほんとは、もっとくだらないエピソードもあるんですけどね。

ちょくちょく、書き留めておこう。

さよならの向う側

さよならの向う側

 

さー、勉強してきます。

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守秘義務違反になるので、仕事での写真はあまり撮らなかったけど、那須に先輩と2人でロケハンに行った時に乗ったハスラーだけなぜか撮っていた。