ピンクとキラキラ

世界の終わりに寿司が食べたい。

思い出サウンド

ラジオから、懐かしい歌声が聞こえる。

 

私が中高生の頃、仙台で活動していた「カラーボトル」というバンドの曲。

 

仲の良かった友達に教えてもらって知ったこのバンドは、2007年にメジャーデビューし、地元メディアにもよく取り上げられていた。

10年20年

10年20年

 

いつの間にか自らは聞かなくなっていて、この曲で思い出すのはいつも中学生の頃の風景だ。

 

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朝、

田園の中を、風を切って自転車を走らせる。

いろんな虫や動物の声が流れていく。

1人でのんびりと山の麓の学校に向かう朝。

山の緑と空の青のコントラスト。

干からびたミミズ、ほぼ空の直産販売ロッカー、顔にかかる蜘蛛の巣。

ミミズクの鳴き声がする梅林の中をくぐって、まだ人気の少ない校舎に向かう。

窓が開け放たれた教室には、新鮮な空気が出たり入ったり。

裏が杉林なので、冬は花粉地獄だけど夏は涼しい。

 

放課後、

西日の差す教室。

管楽器の不規則な練習音、運動部の掛け声、ひぐらしの鳴く声。

部室のカビ臭い匂い、焦げたカーテン、古くて軋むパイプ椅子。

メトロノームロングトーン、指揮棒で指揮台を叩く音。

 

帰り道、

薄暗くてもうお互いの顔もよく見えない頃。

近くの商店の駐車場でだべり続ける。(近くにコンビニはない)

投げられる指定カバン、ゆれるダサい制服、消費されるうまい棒。(本当は買い食い禁止)

 

帰り際、うっかり私たちを見つけた先生の「早く帰れ〜」という気だるい声、私たちの「はーい」というその気のない返事、鳴らされる気の抜けたクラクション。

 

暫くして、喋り疲れ、ぼんやりとした闇をかわすように、散っていく私たち。

月によって映された自分たちの陰をおいかけてゆく帰り道。

ガマガエルや鈴虫の声、若い稲穂のざわめき。

少し遠くに聞こえる、国道の車の音。

大きな大木が、歯を擦り合わせて「早く帰れ」と先生みたいに言っている。

幼馴染の2人と並べる、シルバーフレームのママチャリ3台。

うまい棒なんてあっという間に消化して、ペコペコなお腹を抱えて家に帰る。

 

 

あの青春時代の夏を、カラーボトルは鮮やかに呼び起こす。

夢のようなあの時間は、もしや本当に夢だったかもしれないと思ってしまうところを、

確かにあの時間はあった、と力強く歌ってくれる。

 

地元賛歌

地元賛歌



 

 

かなり前に書いた暑中見舞いを、数日前に出した。

ぽつりぽつり、返事が返ってきていて、アナログ通信のよさをまた噛み締めています。

このブログを読んでるよ、と書いてくれた友人がいて、なんだか嬉し恥ずかし。(きみだよ!)

 

 

おやすみなさい。



マイホームグラウンド池袋が心配

池袋のゲリラ豪雨、雹など、大変そう。

母校の木が強風で倒れたらしいけど、木よりも脆そうな私の所属していた部室(プレハブ小屋)が壊れてないか心配。

 

さて。

今日のお昼は、前から気になっていた住宅地の小さいパン屋の人気カレーパン。

朝と夜を抑えることで、なんとかカレーパンを食べる糖質制限ダイエッター。

 

めちゃくちゃ美味しかった。

何と言っても中身のカレーがそのまんまでも食べれるくらい美味しい。

スパイシーなのだけど、ちゃんとパンとマッチングしている。

パンも、油を吸いすぎずにふんわりしていてとても食べ応えがあった。

 

昨日の外食から胃腸の調子がいいと、母も食べた。

15:00頃、そのせいかは分からないが、母の体調が急変。頭痛と吐き気で、夕飯の準備ができなくなる。

 

今日は、私は夜から学校のため、17:00には家を出なくてはならないので、早速ご飯作りに取りかかる。

 

そこに、来客!父が対応してはいるけど、最初のお茶だしと30分後にアイスコーヒーを出すので10分のロス!

 

とりあえずお茶だし後、冷蔵庫チェック。おとといの夜作ったカボチャと厚揚げの炊き合わせがあったので、これに青菜のおひたしを添えて彩り良いおかず一品。

もう一品は、父が鶏肉が食べたいというのでジンジャーチキン(豚の生姜焼きの鶏もも肉バージョン)を作る。

鶏肉は冷凍のがストックしてあるし、玉ねぎも生姜も常備しているのでめっちゃ良いメニューなのだ。

ただ、祖父と祖母は、鶏肉が食べれないため、お中元で届いた冷凍の煮魚を水に浸けて自然解凍させる。

あとは食べる直前に3分チンするだけ。本当にこういうお中元は重宝する。

 

ジンジャーチキンを焼きながら、味噌汁を作る。副菜に厚揚げがあることを忘れて油揚げと大根を切ってしまっていたけど、この際気にしてられないのでそのまま油揚げと大根とワカメの味噌汁を完成させる。

 

もう一品(我が家では一汁三菜が原則)ほしい、と思い冷蔵庫覗くと、ナスが中途半端に余っていたので、多めの油で焼いてめんつゆに浸して冷蔵庫で冷やした。これでなすの焼き浸し完成!簡単で良い。

 

ここまでで16:40。なかなかのペース。

やり残した仕事を少し雑に片付けて、父に直前の準備の手ほどきをして、テキストをリュックに放り込んで、なんとかバスに間に合った。

 

なかなかハードな午後の2時間だった。

バスで寝ている間に、外は土砂降りになって、傘を忘れたことに気付く。

少し濡れながら学校に着き、眠くなりつつも眠ることなく授業を終えた。

 

そんな私にご褒美か、彼氏がほぼ同時に仕事を終えて、一緒に帰ることになった。

 

帰ってギョウザとラーメンを食べるというので、コンビニでサラダを買うように言う。

 

家を出るとき急いでいたので、ヨレヨレの化粧で恥ずかしいと言うと、いつもと変わらないよ、と言われて腹パンした。

 

ゲリラ豪雨のあと、虹が出ていて綺麗だったけど、あまりにもみんながiPhoneをそちら側に掲げているので、恥ずかしくて写真撮れなかった。

 

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家のアジサイが枯れる間際、一番綺麗な瞬間だと思う。

 

 

私的「女子力」論(今更だけど聞いてください)

昨日買った、GUの半袖短パンのパジャマがめっちゃ可愛い。

 

ミッキー(シルエット)柄というのが、なんとも恥ずかしいし趣味じゃないんだけど、色と形が可愛かったから買ってみたら、案の定可愛かった。

 ミッキー柄も悪くない。

 

これまでは、ユニクロのリラコの短パンに適当なTシャツを着ていたのだけど、どうもだらしがない。

その上、ヨレヨレの姿の自分を鏡で見ても、明日も頑張ろう〜〜!とかならない。せいぜい、はぁ…今日も頑張ったな…である。

 

ミッキー柄のミントブルーの可愛いパジャマを着た自分は、仮にも美人でもスタイル良くもないけど、自分という範囲で褒めに値する可愛さで、

ヨシッ明日も頑張るゾ〜〜 となる。

不思議だけど、なっちゃう。

そういうの大事。

 

寝巻きというのに拘るのは、一種の「女子力」的なものだと思う。

「女子力」という言葉はあまり好きじゃないし、定義というのもいろいろだと思うのだけど。

あえて私の中で、「女子力」とよぶものがあるとすれば、

(他人に見える所かどうかに関わらず)

自分自身のテンションをあげてく力

みたいなものかなと思う。

見せる予定のない下着でもお気に入りのを着る、というのもまた然り。

冬のペディキュア然り。

 

自分の中の、「女」ともまた違う「女子」という部分のテンションを、キュッと上げること。

全員が全員とは言わないけど、多くの女性が仕事や家事や、恋や色々にモチベーション上げるきっかけにしているものだと思う。

 

よく、

男の為にオシャレしているのではない

男の目を気にしてネイルしているのではない

男に媚び売るために化粧しているわけではない

と主張する女性たちの多くは、

この意味での「女子力」を重視しているのだと思っている。

 

私は、以前の記事で述べた通り、ピンクとか、キラキラとか、一般的に女子っぽいとされるものが苦手。

サマンサタバサのバッグとか

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ディズニーとコラボレーションのアクセサリーとか

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ジルスチュアートみたいなやつとか。

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あと、あとなんだろう。全然思い浮かばないくらい興味がない。

 

こういうの、好きな女の子ばっかりじゃないし、嫌いじゃなくて少し取り入れてる人もいれば、私よりも嫌悪を示して一切取り入れない人もいると思う。

そういうグラデーションの中でもブレないのが、自分のためにテンションあげてく、という意味での「女子力」。

 

みんながみんな持ってるとは言わないけど、わりと多くの人がこの「女子的テンション」を持ってるんじゃないかと経験から推測する。

自分の好きなものを身につけたり手に入れたり見たり触れたりすることであがるテンション。

 

「キラキラが好き」「シンプルが好き」

「オシャレが好き」「服はこだわらない」

「コスメが好き」「化粧をしない」

「男に注目されるのが好き」「男に媚びる女が嫌い」

そういう色々とは、また別のところにあるのが、私のなかでの「女子力」につながる「女子的テンション」で。

 

それは、今回の場合私のパジャマはミッキー柄だったけど、決して女子っぽいとされるものとは限らない。

 

自ら、自分の中にある「女子」をくすぐって=女子的テンションをあげて、自分のモチベーションにする力、それが「女子力」だと思っている。

 

そういうモチベーションが上がると、どうなるかというと。

人に優しくなれたり、雰囲気が柔らかくなったり、気分が明るくなったり。

そういう対人的な能力?性格?も少し変わるのではないかな。

 

それは男に媚びることができるということではもちろんなくて、(合コンでサラダ取り分けたり、上目遣いができるのもまぁ含めていいとは思うんだけど)、自分の心に余裕を持って人に接することができるということ。

 

自分の女子的テンションを自ら上げ、

自分の心に余裕を持たせ、

対人関係や仕事を良好に運ぶ。

 

そういう自己コントロール能力を「女子力」と、私は呼びたい。

 

異論は受け付けますが、あくまで持論です。どういうものを「女子力」と位置づけるかは個人個人の価値観の自由だと思うので。

 

あと、誰しもが「女子」でいなきゃいけないとも思いません。女子的テンションがもともと高い人も低い人もいます。

これがなくても、対人スキルが高い人なんて山ほどいます。

そういうのを認めた上で、ひとつの「女子力運用論」としてお聞き下さいませ…

 

以上。ご静聴ありがとうございました。

 

テレビで聞く「女子力アップ」「インスタ(SNS)映え」「女子みんな好き」が嫌いです。

 

GUのパジャマはマジ可愛いです。

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コミュニケーションのズレについて

アブラゼミだかニイニイゼミだかの声が、途切れないんじゃないかと言うほど、

ジィーーーーーーー

と鳴いていて、かと思うと急に、

ジィ、ジジィ、ジジジィ、ジィーーーーーーー

みたいな変拍子になるから、本当に暑苦しい。

 

突然だけどわたしの母は虚弱体質だ。

昔からそうだったわけじゃなく、末っ子の妹を産んだ後、産後太りからダイエットしようとした時に大きく体調を崩し、そこから胃潰瘍や胃腸炎などを繰り返して、だんだん華奢になり体力がなくなったらしい。

入院や手術が必要な大きな病気はしてないけれど、1週間の半分は体調を崩している。

 

体調を崩していても、仕事はしなきゃいけないので、何とか起きては来るけれど、合間合間にはソファで横になっていないと持たない。

 

特に偏頭痛がひどく、疲労が溜まる以外にも、塩分の高いものを摂る、パソコンやスマホの液晶を見る、生理前のホルモンバランスの崩れなど、色んな原因があるらしく、なかなかコントロールできない。多分更年期もある。

近くの内科から、偏頭痛の薬を定期的に処方されてはいるけど、体が慣れたりしないようにするために、ここは体調崩せない、と言う時しか飲まない。

 

最近、糖質制限で家族と同じものを食べない私に母が言う。

「どうして美味しくものを食べれるのに食べないの?私の代わりに食べてほしいよ。せっかく食べれるんだから食べた方がいいよ、美味しく食べれるって幸せなんだからね。」

 

母が言いたいことは分かる。

母は塩分や糖分、体を冷やすものを摂ると体調を崩しがちだから、食べれるものを選んで食べなきゃいけない。でも、選んでばかりいられないから時たまそういうものを食べてしまうとすぐ体調を崩す。

だから、食べたいものを食べても体調を崩したりしない私を羨ましがるのは分かる。

 

でも、私だって食べたいもの食べたい、美味しくお米やパスタを食べたい。でも、すぐ太ってしまう。

肥満と言われる体脂肪率になってしまう。

 

確かに、仕事ができないほど体調を崩してしまう母に比べて、深刻さは全然違うけど。

だからって、好きなものを食べても体調崩さない=絶対的な幸せ、ではないでしょ、と少しイラっとしてしまう。

 

長くなってしまったけど、何が言いたいかというと、

自分が羨ましいことを、

「いいなぁ、わたしもそうなりたい」

と伝えることは、時に人への配慮に欠けることになりかねないってこと。

 

さっき、茶道をやっていて京都が大好きな母が、お茶会に出たいという意味で言った「京都行きたいなぁ」に対して、父が「でも京都は暑いよ?体調崩しちゃうよ?」と言った。

そういう、ちょっとしたズレが生まれてしまうのは、人間関係の中でしょうがないんだろうけど。

 

でもそういう所、細かに気づける人間になれたら、と思う。

 

 

 

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今日は投票(期日外)行って外食した。

 

ザ☆ピ~ス!

ザ☆ピ~ス!

 

自己肯定力はすごいよ

過保護のカホコをhuluで見た。

 

感想、

わたしも大して変わらない育てられ方してんな

である。

 

まあ、高校卒業と同時に東京で親元離れてるし、あんなに素直にスクスクとは育っていないし、今ではだいぶひねくれちゃってるので、カホコとわたしはちょっと違うけど。

 

わたしは、祖父母にとっては初孫、曽祖母にとっては初ひ孫、叔母たちはまだ高校生と大学生の時の初姪、そして両親にとっては第一子。


10人以上の裕福な大家族の中で、私はみんなの愛情を受け、自己肯定力を存分に養って育った。
弟や妹が生まれてから、私1人への視線や注目は減りはしたけど、それでも有り余る愛を受けていたことは想像に容易い。
なぜなら、カホコと同じく、我が家にはおびただしい数のホームビデオがあり、昔のハンディカムのテープもきちんとDVD化してある。そこに、些細な日常のワンシーンでさえ愛を受けている私が映っているのだ。
私も母も、そのDVDを観るのが大好きで、ドーナツを食べながら黒木瞳高畑充希が楽しそうにDVDを観るシーンは自分とかぶって笑ってしまった。

 

私は自分の幼い頃のアルバム(こちらもおびただしい程の数ある)を開くのも好き。

わたしは、顔が先天的に野暮ったくて、ぺちゃんこな鼻に、真っ赤でパンパンな頬、大きく垂れ下がった眉毛はいつの時代も変わらないのだけど、それが何故だかたまらなく可愛く思えてしまうのだ。

自分の自己肯定力恐るべし。

 

でも、私は、甘やかし、心配し、おせっかいを焼き、 過剰なスキンシップをし、変わらぬ愛情をわかりやすい形で注いでくれた、過保護な家族たちに心から感謝している。

 

いざというとき、わたしは家族にもらった自己肯定力によって守られていることを、大人になってとても感じる。

 

大学で、弄りの延長線上でいじめに近いことをされて、友達にも「自業自得だ」と言われて、でも笑っていなきゃいけなくてすごく辛い時も。

 

仕事ができなくてできなくて、上司に怒ってももらえず、情けなくて逃げてしまったときも。

 

この状況から脱するには死ぬしかないんじゃないかって思ったときも。

 

わたしはギリギリのところで、自分に「それでいい、生きてるだけでいい」と言ってあげられる力があるということ、それは家族がくれたものだということを、だんだん理解してきた。

 

きっと、それが表出していることが、面白くない人もいるし、イラつく人もいると思うけど、わたしは、この力のおかげでこの先の人生、なんとか生きていけると思うのだ。

それは本当に幸せなことだと思う。

 

まあ、過保護とはまた違うかも知れないけれど、カホコもきっと、同じ力でもって生きていけると思った。

 

まあ、過保護にはほどがありますね。

 

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私3歳くらい。可愛いですね

 

 

初恋の呪い

今日から土曜日の学校は午前授業になった。

 

昨日は2日酔いで気持ち悪くて、たくさん寝たのに、寝た時間とは関係なく、授業は眠い。

 

昨日の夢、中学〜高校生のときに付き合っていた男の子が久しぶりに夢に出てきた。

 

大学生まで、どこかしらその男の子との失恋を引きずっていたから、他に好きな人が出来ても、よく夢に出てきては私をものすごく暗い気持ちにさせていた。

 

もはや呪いだった。途中から、私はこの人とじゃないと幸せになれない、とすら思っていて、いつも過去に引きずり戻されていた。

初恋だった。

 

小学生の時に、ありきたりな初恋を経験した。

席が隣で、足の速い男の子を好きになった。小学2年生くらい。

恋に恋するお年頃。

田舎の、とても小さい小学校で、その子はとてもモテていて、なかなか好きだと言い出せなくて、でも何となくお互い好意があることをどことなく感じていた。

 

小学5年生の終わりの、バレンタインに告白した。

付き合う、という意味なんてよく分からないけど、私はあなたが好きであなたは私が好き、という状況をはっきりさせたいがための、お付き合いが始まった。

 

中学生になって、

まだまだ恋に恋していた。

もうその人の一挙一動に目が離せなくて、寝ても覚めても「ああ、好きだなぁ」なんて思ったりした。

血液型や誕生月が一緒なだけで、「運命だ」と早とちりをして色んな占いに一喜一憂したのを覚えている。

 

雨の日に、初めて一緒に下校した。

彼はサッカー部、私は吹奏楽部。部活終わりに駐輪場で待ち合わせて、傘をさしながら自転車を押して帰った。

 

そこから、まあいろいろあって、高校生になってから別れた。

高校は、私が県内トップの県立高、彼は英語が勉強したいとか何とか言って通信制の高校に通った。

結局は、彼は英語の勉強とやらはいつしか諦め、自動車整備の道を歩んでいた。

 

別れた後も、私は、たとえ他に好きな人ができても、どこかで彼の事を思い出して懐かしんで心を痛める自分に、酔っていた。

彼を夢に見たり、彼とデートした場所を通ったり、彼とのメールを見返してみたり。

そんな事を繰り返していたけど、このままじゃダメだとも思った。

結局わたしは彼との青春の思い出に恋していて、これではちゃんと前向きに誰かに恋することは出来ないと思った。

ちゃんと話し合いもせず、お互い好きなのに別れたから、余計踏ん切りがつかないのだと思い、きちんと話そうと思い、大学受験が終わった後に、一度デートをした。

付き合ってたときに、今度行こうね、と言っていて行けなかったところを回った。

そこで、彼は一瞬、居眠り運転をしてしまう。助手席側のタイヤが縁石に乗り上げてすぐ戻った。

怖かった、大げさだけど死ぬかと思った。でも、一瞬、一緒にこのまま死ねたらと思った。

もう、結婚して、ずっと一緒にいることは叶わないなら、今ここで一緒に死ねたらと思った。

すぐそんな愚かな考えはやめたけど、その思いを一瞬でも抱いたということによって、私はそのデートでも踏ん切りをつけられなかった。

 

その後すぐ、震災が起きて、私と彼がデートしたところは、何もかも流されてしまった。

私は、私も彼も、生きていて良かったと思った。

 

東京の大学に進み、東京で暮らし、彼の思い出から解放される日を待っていたけど、全然だめで、一人暮らしの部屋に、彼を呼んでしまった。

映画を一本見て、そのあと、3回くらいキスをした。

あとは夕方までずっと手をつないでぽつぽつと話をしていた。そこでした話は、細かく覚えていないけど、出会ってから今までで、一番濃密な時間だった。

夜の新幹線に乗らなきゃいけないから、と立ち上がって、玄関を出るとき、彼が「ごめんね」って言った。

何のごめんねなのか、わたしはさっぱりわからなかったけど、その夜わたしは本当に枕がビショビショになる程泣いて、泣いて、泣いて、恋を終わりにした。

こんなに簡単に終わらせられるならもっと早く終わらせたかったけど、これだけ引っ張ったからこそ、終わらせられたとも言えると思う。

 

そのあとは、彼の事を思い出したり、昔の同級生から彼の近況を聞いたりしても、すこしチクリとするけど、割と平気で、そうして少しずつチクリに慣れて、私は今の彼氏と恋をした。

 

今でも、夢の中では、彼は私を好きで、私も彼を好き。

夢の中で私の初恋はまだ続いているのかと思うと、すごく暗い気持ちになる。

 

彼はいま、私の家のとても近所で暮らしている。

婚約している彼女で、同じ中学の後輩だった子と同棲している。

 

私はいつまで初恋の夢を見ているのだろう。

はやく夢の中でも失恋してしまいたい。

 

とても情けなくて、ヤンなっちゃうね

 

私の初恋の話でした。

恋



 

綺麗サッパリ、スーダラ節

昨日は、大学の部活の後輩と彼氏と飲んだ。彼氏も、部活の後輩なのでプチ同窓会みたいな感じだ。

 

後輩(彼氏じゃない方)が20時まで仕事だと言うので、その前に彼氏とオクトーバーフェストへゆく。

 

雨のあとの錦町公園は、蚊が大量発生していて、スカートを履いて着たことを後悔した。

ビール、彼氏と500mlのを2つ買って交互に飲む。

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オクトーバーフェストの良いところはその陽気なドイツの音楽であり、ついついグビグビ飲んでしまう。

糖質制限は遠のく。

 

彼氏は半分くらい飲んだところで、真っ赤になり、「ちょっと休憩」。

その間に私は片方を空けてしまい、まだ飲み足りない。

彼氏がふざけて言った「ラージにすれば?」を鵜呑みにして1000ml(1リットル!)のビールを買う。

でかいジョッキで小顔効果〜〜と写真を撮ったらとても可愛く撮れた。ラージビアジョッキ万歳。

彼氏にチョビチョビ手伝ってもらいながらちょうど20時頃にジョッキを空にした。気づけば割とベロベロだった。

 

酔い覚ましに、と駅前まで歩く。

最早、街中の地理は彼氏の方が詳しい。

悔しい。もっと高校生の時遊んでおけばよかった。毎日塾に通うガリ勉少女だった。

 

彼氏が近道を知っていたおかげで、待ち合わせ場所にすぐ着いて、酔いは覚めなかった。

 

適当な店を選んで入る。

後輩が変わってなくてホッとする。

最近、大学でずっと付き合っていた子と別れて、部活の後輩と付き合い始めたらしい。後輩の恋の話は楽しい。無責任にほじくったりできる。酔っ払っているので完全にお節介ババアと化す。

仕事の愚痴なども聞く。

(後輩もまた、彼氏と同じく、縁もゆかりもない仙台に配属された人。仙台配属、多い。)

なんとなく全体的に辛くて仕事を辞めたい、と言うので、なぜ辞めたいかちゃんと言語化できてからやめろ、とお節介ババアながら至極真っ当なアドバイスをした。

終バスの時間が迫ってきたので22:30には店を出た。

 

 

そこからが問題なのだ。

 

店を出たあたりから、記憶が曖昧なのだ。

気づけば今日の朝だった。

なんだか、せっかくバスに合わせて地下鉄に乗ったのに、彼氏の部屋に行ったのはうっすら覚えている。

 

多分タクシーを捕まえて、ちゃんと自宅に戻ったのだろうけど、タクシーのレシートもないのでめちゃくちゃ不安だ。

 

起きたら、ちゃんと携帯は充電してあり、おやすみタイマーをかけて冷房をかけた感じがあり、なんとお風呂に入った形跡(髪が濡れている)まである。

 

私はよく前職でも、記憶をなくすまでお酒を飲んだけども、記憶がないあたりの自分のしっかりし具合には我ながら驚く。

一人暮らしの頃は、記憶をなくすほどベロベロになっている間、タクシーを捕まえて自宅に戻ることはもちろん、ちゃんと玄関の鍵を閉め、シャワーを浴び、水を飲み、めざましをかけ、布団をかぶって寝るということは容易いことのようだった。

 

とりあえず、両親には悟られまいと平静を装っているけど、2日酔いがめちゃくちゃひどい。

飲むヨーグルトが胃に沁みた。

なんだか、不良娘になった気分。

もう、そんな歳ではないのに。

 

でも、何も言われないから、普通に帰ってきたんだろうと思う。

彼氏にLINEすると、普通に帰って行ったよ、と言われた。

普通に帰るってなんなんだ。綺麗に記憶は真っ白。

 

ラジオから流れてくるハイテンションな女の人の声が頭に響く。

氣志團のワンナイトカーニバルがイラつく。中学生の時の文化祭で、クラス毎のステージ出し物で、綾小路翔役やったことを思い出す。

中1の頃の、あの緊張感は思い出せるのに、昨日の晩の普通の帰り道が思い出せなくて情けない。

 

お酒はしばらく控えよう、と何十回目かの決心をする。

お酒は飲んでも飲まれるな、わかっていてもやめられない。

 

Ein Prosit

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