深夜高速/フラワーカンパニーズ
私は、緑豊かな田舎でのびのびと育ち、厳しくも優しい両親を持ち、祖父母に甘やかされ、経済的にも恵まれた環境で育てられた。
塾やピアノや水泳など習い事も行かせてもらい、お陰様で勉強も、高校を選り好みできるくらいにはできたし、趣味も増えた。
おまけに高校まで、人間関係に悩んだことはほとんどなかった。出会った友人も先生たちもみんないい人達で、一緒に悩んだり泣いたり笑ったり戦ったりしてくれた。好きになってくれる男の子もいた。
地元の国立大に入れ、と親に言われる高校の同級生は少なくなかったけど、私の両親は好きなところに入りなさいと言い、一番お金がかかるであろう東京の私立大に入れてくれた。さらには月8万の仕送りと6万5千円の家賃支払い、そして学費や携帯代を、学生の間払ってくれた。
そんな私の四半世紀ほどの人生、どこも非の打ち所がなかった。なんの文句もなく幸せな人生を歩んできたと言えると思う。
でも、なんだか生きづらかった。
なんとなく辛い。
こんなにも恵まれているのに、そう思ってしまうことが、人から理解されないのは十分わかっていたし、この辛さをうまく人に説明できないことも分かっていたし、それなりに見ないふりをしてハッピーに暮らしてきた。
東京で、自分で稼いで自分で生活をするようになって、あまり辛くなくなった。
もう大丈夫だと思った。
その分、鈍くなった感覚もあったと思うけど、本当に大事なことだけ忘れなければいいと思った。
その時、生きていてよかった!
生きていてよかった!と心から思った。
いい曲だ。
吉澤嘉代子×たなかみさき
たまたま好きだった人が、
たまたま好きだった人の作品を好きだと
すっごく嬉しいですよね。
吉澤嘉代子がたなかみさきに声をかけたことで実現されたらしいこのコラボ。
めっちゃハマってると思います。
アーティストが、好きなアーティストに自分の作品とのコラボをお願いすることってよくあることだと思うんですけど、こんなに抜群にぴったりなふたつってあるの。
吉澤嘉代子×たなかみさき対談 二人に共通する「性と妄想」の話 - インタビュー : CINRA.NET
たなかみさきも最近好きになったんだけれども(にわかと呼ばないで)、吉澤嘉代子は、これまたたまたまドラマ「架空OL日記」を観て知った。
「恋がしたい」のリフレイン、良いですねぇ〜〜
「東京はうつくしい」にぐっときちゃう。
あと歌っている吉澤嘉代子、めっちゃ可愛いんですよね。
なんだろう、そんなに美人じゃないのに。赤が似合うからかな。ポニーテールも似合う。その辺が、たなかみさきが描く女の子との親和性なのかもな、なんて思ったり。
たなかみさきのイラストは、流動的な曲線で、絶妙な女の子のボディラインをなぞっている。これは全部わたしの想像でしかないんだけれど、あの女の子たちが実在したら、色が白くて、うなじが綺麗で、まつ毛が長くて、下唇はぽってりしていると思う。うつくしい輪郭美とでも言おうか…火照った頬がまた良い。
おっぱいや陰毛すら描いてしまう潔さにうっとりする。
あと、たなかみさきは、キャプションがいい。
「うまく汲み取っていればずっと続くかな」とか「いつも一緒にいなくてもいいよ ずっと一緒にいなくてもいいよ」とか、情緒的に行って見たかと思えば、「春は淫乱、頭がくらくらする」なんて!
多くに媚びない、目の前の人だけに心が向いているからこそ、言葉までとびっきり可愛いのだ。
話はそれるけれど、わたしは本能や欲に忠実な女の子が大好きです。
お腹が減ったらもりもり食べ、眠かったら所構わず寝る、男の子と寝たかったら寝る、やりたくないものはやらない、けど気が向いたらやるかも。
好きなものには一直線な女の子は近くで見ていて本当に可愛い。そういう子の「おなかすいた!」や「眠い」という呟きで白飯が食えるくらい好きです。
たなかみさきの描く女の子、わたしの好みにぴったしなのだ!!
女の子丸出し。自然に出る上目遣い。へいきでパンツ。こっちはそれにドキドキしちゃうの!という相手の心まで読んだうえでのパンツ。パンツ最高。
そう、たなかみさきの女の子とはまた違うんだけれど、「架空OL日記」のサエちゃん(佐藤玲)が、めちゃくちゃ可愛い。
意志が弱くて、同じ男と三回よりを戻しちゃう、ズボラで甘え上手で、人の話を聞かない後輩とか、可愛すぎる…
ウザ可愛い…
皆さん是非…Huluで配信してます。
弄られキャラの謀反
前職で、取締役のオジさんに言われた言葉で忘れられないものがある。
「お前はケツが立派だから、20人でも30人でも子どもが産めそうだな!」
いわゆるセクハラであるな。
と私は感じたんだけども、みなさんはどうなんだろうか。
決して私を不快な気持ちにさせたり、戸惑わせたりして楽しもうという意図がないシチュエーションではあったものの、(そもそもそういう意図があったらそれは、セクハラではなくただの嫌がらせだ)、その想像力の無さにゲンナリする。
わたしは、「あはは〜、任せてください!」と言う。だいたい60〜75点くらいの返しではないだろうか。
しかし、ケツが大きいのが事実だとしても、(実際私の下着のサイズはLである)
体の特徴について大声で言われることが、平気ではあるけれど嫌だし、その「キツイ冗談をいかにうまく返せるか」を試そうという感覚はもっと嫌だ。
その私の「嫌さ」をなんとなくわかりながら、想像を怠り、「自分が主張したい何か」を優先させるのは、もはやメディアコンテンツを作る仕事をしているものにとって致命的のように感じる。と言うのは言い過ぎか…
ふと、大学で社会学を勉強していて、敬愛する奥村隆教授がゼミの教材として使用した「ハゲを生きる」を思い出す。
この中で、「人格のテスト」という理論が引用されている。
ざっくり言うと、ハゲの人がハゲをからかわれるということは、ゲーム理論的な、「人格」を試されるテスト、というわけで。
ハゲの人は、ハゲ(身体的特徴)をからかわれることを、たいていの場合「嫌だ」と感じている(自覚的にせよ、無自覚にせよ)けれど、からかう方は多くの場合、「弄り=ある種の遊び」の感覚で、悪意はない。
それに対して、嫌だと感じるからといって、無視したり怒りだしたりすれば、からかいというある種の「遊び」のルールを破ることになる。
からかいという「遊び」は、鬼ごっこなどのように、そこにコミュニケーションの型(=ルール)をある程度想定しているからである。
その型をはみだすと、遊びであることは暗黙の了解のはずであったから、相手を困惑させ、または怒らせ、もしくは失望させてしまう。つまり、人格のテストに合格できないということである。
まあ、これはざっくりであって、実際は本を読んで欲しいんですけど。
つまりは、先述のセクハラ発言には「人格のテスト」の要素が含まれている気がするんです。
上司は、私と「遊び」のコミュニケーションを想定していたんでしょう、きっと。私の返答が上司にとって面白い(高得点)であればあるほど、将棋で想定外の上手い一手を刺された時に興奮するのと同じで、嬉しくなるんでしょう。
そういうコミュニケーション、多いですよね。
わたしも、ブスとかデブとか顔がテカってるとか言われても笑っていられましたよ。
でも、たとえそれくらい平気、という人でさえ、それを言われる人やタイミングや頻度や状況や…いろんなことが重なって無理!ってなってしまうこともありますよね。ね。
遊びの範囲で、それを上手く返して、かわして、笑っていれば、人間関係の潤滑油になることも多いんだけれども。むしろそれを利用して生きてきた感もあるんだけども。
加減が分かってない人もいて、笑いながらズタボロになってしまうこともありますよね。
これはチャンバラだって言いながら、本物のナイフ振り回してるようなもんですからね。
私は、そこの頑丈さみたいなのを売りにしている部分があって。
みんな、そんなに気を使わなくていいですよ、頑丈なので、思いっきり遊びましょ、と。
女性でも多いですよね、それを売りというか、武器にして生きている人たち。
でも、それでいざ遊んでいたら自分のキャパ以上に傷つけられてしまうことがあれば、すべて自業自得なのでしょうか。
自分で蒔いた種だし、そうかも知れないけれど、じゃあせめて、耐える義務はないよな、と思うのです。
泣いていいし、逃げていい。
それで気づく人は気づくし
本当に限界がきたらその人間関係を捨てる勇気を持とう、と思う。
芸能人で、それを仕事にしている人たち、すごいなと思います。
きっとたくさん傷ついている人だっているはずだなぁ、とバラエティなど見ていて思います。
でも、それは、自分が傷ついたこととは何ら関係ないし。
もっと言ってしまえば、芸能人と違って、わたしたちはそれでお金もらってないし!なんてね
あとは、自分を傷つけた人と同じ過ちを犯さぬよう…
結局、そういう「遊び」のコミュニケーションが平和に成立するのは、他の種類のコミュニケーションも充実しているからこそ、とも言えるのではと思うんですよ。
相手の気持ちを想像し、慮ることを怠らぬようにしたいものですね…
えらそうに、長々とすみません
仕事を辞めた話
東京で働いてたのは大学出てからの1年半。
ドチャクソ(一度使ってみたかった)忙しかった。
暦通りの休みがあるはずなのに、休日出勤がデフォルトで、2連休は飛び上がるほど嬉しかった。
次の朝まで仕上げなきゃいけない仕事が出れば平気で徹夜した。
あまりに仕事脳になりすぎていて、休んでいても、友達と遊んでいても仕事の進行について考えているし、お酒飲んでても社用携帯のメールチェックは1時間おきにするし、彼氏と喧嘩していても上司や取引先から電話はかかってくるし、家でブイヤベース作ってても急に会社に呼び出されたりもした。(ブイヤベースって作りたてが一番おいしいの知ってました?)
映像を作りたくて、その会社に就職した。
映像を作る、まさにその現場にいたかった。0から生み出すのが、例えば企画を作るプランナーや、演出をつけるディレクターだとすれば、わたしがやっていた仕事はその人たちが5や8くらいまで作ったものを、10に引き上げることだ。
クオリティーを上げる仕事、と会社の偉い人たちが言っていた。
好きな広告に携われて、わたしは幸せだと思った。
長時間働くのは辛いけど、そのぶんやりがいがあった。
毎日が文化祭前日のような高揚感の中で、辛いけど楽しい、楽しいけど辛い。最悪だ、と思う次の瞬間に最高の瞬間に出会ったりする。
ジェットコースターみたいな毎日。
彼氏に給与明細を見せたら、残業代を、実際に残業した時間で割った金額を算出されて、それが500円をきっていて、(フレックスなので実際は特殊な残業時間の計算方法だった)この仕事を続けるなら俺たちはやっていけないかもしれない、と言われた。(いつもデートは22時以降からで、よく仕事が終わらずに遅刻していたので、言いたいことはよくわかる)
プロデューサーがスポンサーに提出する見積書の、私の単価が5万円だった。
3ヶ月間くらいで5万円。
もちろんお給料は会社の収益から入ってきているわけだから、私のお給料とは別だけど、私の仕事の値段だと思った。
3ヶ月に一回、定期的に睡眠不足で鼻血が1日一回出る一週間がくる。第2の生理、と笑っていたらかかりつけの医者に怒られた。睡眠時間が極端に減ることで、ビタミンが不足しているそうだ。
半年に一度くらい、休日出勤の代休を消化しないと労働基準監督署というところが抜き打ち検査に来た時に大変らしく、1週間前後の休みを無理やりもらえるので、なんだかんだいい方だったのかもしれない。
たまには20時くらいに帰れたし。
めっちゃ暇な時は18時には帰れた。
社員はみんないい人で、良くも悪くもアットホームな会社だった。
男性ほど重いものをもてなかったり、鈍臭くて物覚えが悪かったり、あとadobeどころかMacさえも使えなくて、だいぶ迷惑をかけたけど、それでも先輩には可愛がってもらったし、たくさんのことを教わった。
夜な夜な、体力を振り絞るようにして先輩たちと遊んでいた。(場末のスナックや、カラオケバー、お高いショットバーや、ガールズバー。)
でも私は仕事をやめた。
たぶん、あの仕事を続けて行くことも出来た。
彼氏とは別れたと思うし、後悔することも沢山あるだろうけど、私が私のために好きな仕事で働いて稼いで生活して、東京で生きて行くことに誇りを持てただろうし、知り合う人たちから刺激を受けて同じような、もっといい環境の仕事が出来たかもしれない。
そういう喜びに繋がる道も、見えてはいた。
そういう人生もありだった。
でも私は、自分の生き方として、結婚して子供を産みたい、と思った。
それは、たぶんあそこにいたら叶わなかったと思う。
わたしは、世代的にも、環境的にも、どちらかと言うと「仕事をバリバリこなす人」「仕事と趣味を両立できる人」が多く、そういう人生を楽しんでいる大人たちや同期のなかにいたので、男女問わず、結婚をすること、若いうちに子供を産むことを、そういう生き方を重視しない人たちに大きく影響を受けた。
一方で、わたしの両親や親戚は、二十歳を超えると結婚のことを口にし、なるべく早く子供を産めと平気で言うような人たちだった。
「結婚しない人もいて、それは自由だけど、絶対に結婚して子供を産む方が幸せよ」と言う母親が我慢ならない時もあった。今では、もうそれも自分の経験則で言っているのだと聞き流せるようにはなったけれど。
それを踏まえた上で、「結婚して子供を産む人生」を選びたいと思った。
まあ、仕事が仕事だったから二択になってしまっただけだし、そう思うにはいろんな要因がきっとあるのだけれど。
私は、この人生を、今目の前にある未来を、自分の手で選びとっていきたいと思っている。
たまには、流れや運に任せなければいけないときもあることも、十分わかっている。
今は、身動きが取れないけど、それは自分で選んだ環境で。
実は結婚も子供を産むことも、まだどうなるかわからなくて、大変に宙ぶらりんだ。
でも、そういうときもある。
今は、目の前にあることをこつこつ続けていこうと思う。
(「ひよっこ」のみね子たちのように!)
「だいじょぶかな、私たち。」
「わかんねぇけどさ、目の前のことを一生懸命頑張るしかないよね」
「そうだね。そうしてればいいんだよね。」
「うん」
(ひよっこ)
あー本当にひよっこ最高ですね。
こんなことをこんなところに書いても何にもならないんだけれど、たまには自分を見つめ直したくって書いてしまった。
【追記しました】NHK朝の連続小説ドラマ「ひよっこ」が素晴らしいからみんな見て
おはようございます。
毎朝、7:30からNHK BSでやっているひよっこを見ています。
私は、一人暮らし時代、テレビは朝情報収集のためだけに垂れ流していたので、朝ドラは見ませんでした。
もちろん「あの」「あまちゃん」さえ、1話も見ていません。
なので、これから書くことは、比較対象などが極端に少なくて、大変主観的です。十分わかっております。でも、書かずにはいられないので、書かせてください。
「ひよっこ」は、名もなき1人の女の子が、自分の意思ではなく家族のために、東京という大都市で懸命にふんばる物語だと思います。今のところは。
はじめの、みね子(有村架純)の故郷・奥茨城村篇では、みね子の人柄がよく描かれていました。
鈍臭いけれど、ほんとは甘えていいはずの親さえも思いやれる、働き者。
みね子は、父親から見た理想の娘像みたいでファンタジーだ、と言っている人を見ましたが、私はそうではないと思います。毎日コツコツ頑張れば、食べ物が実る、畑が好きだとみね子が言っていました。そういう人たち、います。目の前の仕事をただひたすらこなしていくことで生活を営む人たちが、私の地元にもたくさんいました。
生きがいや、夢や、そういう言葉が都市にはあって、とても輝いているけれど、みね子たちのように、毎日こつこつ頑張ることの尊さは見直されるべきだな、と思います。
ひよっこが描いている時代には、そうやって地道に労働し、その収入のほとんどを実家の家族に仕送りして、慎ましやかに暮らしていた乙女たちが沢山いたのだと思います。
懐古主義と言われるかも知れないけれど、わたしは「ひよっこ」を見ていると、自分の生活や人生を「つまらない」などと思うことはやめようと思います。
毎日、たまの、ささやかな幸せの中で、懸命に目の前にある仕事をこつこつこなし、辛くてもとなりには、また別の人生で、別の事情を抱えて、自分と同じように目の前の仕事をがんばる人がいる。
そういう無数の「事情」のなかで、1人の平凡な人間として生きていると、東京という都市にあって、「飲み込まれる」という感覚に陥るときがあります。
私のように、田舎から東京に出てくると感じることかもしれません。
だから、「夢」や「生きがい」や、そういうドラマチックなものをドラマにも盛り込みたくなるけれど、「ひよっこ」は違う。少なくとも今のところは。
平凡に生きることの尊さ。
ささやかな幸せの素晴らしさ。
そういうことの連続で、人生は豊かになっていくのかもしれない。
そういうことを思い出させてくれるのがひよっこの良さの1つだと思います。
あと、個人的には、こないだの豊子の回は泣きました。
冷静で頭が良く物分かりの良い豊子の「いやだ」。
ずっと、家族や周りの人間に迷惑をかけないように、少しでも手間をかけないように暮らしていた。自分の感情を優先させるほど、余裕などない田舎の暮らしだったんだろうな。
私は豊子ほど良く出来た人間じゃなかったけど、そういう性格はすごく分かる。
そんな豊子が、自分1人で東京に出てきて働いて、収入こそほとんどは実家に送ってしまうけれど、世話をかけまい、いやな思いをさせまいと気にしてきた家族と距離を置くことができて、もちろん寂しさもあるけれど、自由になれた部分もあったのだ。
うーん、これを自由、といっていいのかわからないけど、意地やめんどくさい自意識から解放される空気が、「いやだ」と言えるそんな空気が、東京にはあるよ、というシナリオだと感じた。
しっかし、上野駅で初めて会った時の豊子からは、想像もできないほど崩れた顔をしていて本当に良かった。
藤野涼子ちゃん、とてもよい。
ソロモンの偽証、小説は読んだけど映画見てなかったけど、見ようと思いました。
乙女寮のみんな良いけど、
佐久間由衣、藤野涼子のふたりは、個人的にこれからどんどん頑張っていって欲しい。
あと和久井映見と宮本信子は安定感抜群の最高さですね。(伊丹十三が大好きなので宮本信子シンパです)
来週からの「すずふり亭篇?」もめっちゃ楽しみです。
すずふり亭、宮本信子と洋食って、たんぽぽ!と思いましたが、たんぽぽはオムライスのイメージ強いけどラーメン屋さんなんですよね。
勢いで書いてしまって、乱文失礼しました。
あ、佐久間由衣が出ているゼクシィのCMも好きです。
仙台を案内する
昨日のことだけど、楽天が勝った。
ベテランと若手の関係性やバランスがとてもいい、気がする。
野球のことは詳しくないけど、楽天はいいぞ!
さて。野球とは関係ないんですけど。
来週、大学時代にとてもお世話になった先輩が、東京から仙台に遊びに来ることになりました。
一泊二日で、1日目は先輩1人で観光してわたしの実家に宿泊。
2日目はわたしが案内係!
どこに行きたいかが具体的に決まっていない先輩は、計画を立てる上でなかなか苦戦している。
というのも、田舎の交通手段が複雑だそうだ。
先輩の出身地は東京都練馬区。練馬は都心の田舎、と言えども、小学生から大学を出て、社会人になっても行動範囲は23区内、JR鉄道も東京メトロも充実しており、実家は車なし、一駅区間は歩ける距離という常識の中で生きてきた人である。もちろん運転免許はない。
かたや私の実家は、一応は政令指定都市・杜の都仙台の中ではあるものの、その中心である仙台駅から地下鉄で20分、そこから1時間に1〜3本のバスに乗り25分ほど。片道平均1時間半(バスのタイミングに大きく左右される)、料金にして720円!
これは新宿から小田急で江ノ島に行くより高いです。(627円)
東京駅から千葉駅に行くより高いんです。(637円)
また観光地についても、何処へでもとりあえず電車の乗り換えを調べれば良い首都圏とは違うのです。
これはどこの田舎も一緒だと思うんですけど、観光地それぞれによって、最適な交通手段が違うんですよね。
まず、宮城を観光して回るための交通手段、主に4つです。
・地下鉄
・JR在来線
・路線バス
・レンタカー
とりあえず仙台駅を起点に動くと思うんですが。
宮城で多分一番有名な観光スポットは松島ですよね。日本三景ですからね。
晴れているこの時期の松島は本当に綺麗です。
松島海岸には仙台駅からJRの在来線がありますので、これがオススメ。
駐車場も割と充実しているので車でもいいですが、道も複雑だし土地に慣れてない人は徒歩が賢いと思います。
あと観光スポットといえば秋保・作並温泉ですね。秋保大滝や工芸の里など、楽しめるところが少し離れたところにあるので車が便利かと思います。
が、悩ましいのが、最近秋保ワイナリーというのができましてね。試飲などできるので、お酒呑まれる方は、仙台駅や長町駅などから出ているバスがオススメです。電車は通ってません。
大崎八幡宮に行くには、仙台駅前から路線バスが良いですね。
瑞鳳殿には、路線バスのほかるーぷる仙台という観光循環バスでも行けます。
あとは、蔵王の御釜なんかはもう、車でしか行けないですね。
まあ、車を運転し慣れていれば大抵のところは行けるんですが。わたしは遠距離の運転に慣れてなくて、とても先輩をあちこち連れ回せるほどのテクニックはありません。
そうなると悩ましいのは、一度仙台駅に出なければ、ほとんどのところには行けないということ。
観光地に行くときは、だいたい親に運転してもらっていたので気付きませんでしたが、田舎の観光というのは割と頭を使うのだな、と思ったのでした。
とはいえ、自分のふるさとを観光しに来てくれるって嬉しいものです。
はりきって、よい観光コースを考えます!これから!
観光の参考にはあまりならないかもしれませんが、よいエッセイです。
峩々温泉にいくくだりがとてもよいです。
おいでませ、宮城!
三代目薬屋久兵衛/ねむようこ
前回みたいな、昔の話を書いたきっかけは、ねむようこの「三代目薬屋久兵衛」を読んだからでした。
恋のはじめは切なくて苦しむことと知りました - ピンクとキラキラ
昨日、図らずも暇ができてしまい、本屋をぶらついていました。
ねむようこが新連載の単行本を出しているのはずっと知っていたんですが、「午前3時の」シリーズ初期からのファンであるために、このファンタジーチックな装丁が、大判コミックスの1000円近い値段が、買うのを渋らせていたのです…エー、なんか架空の生き物とか出てきちゃうんじゃないの、的な。しかし。
暇だと1巻くらい買ってみよう、って気持ちになっちゃうんですね。
1巻を買って、ドトールのアイスコーヒー飲みながら読んだら、そのままKindleで2〜5巻買っちゃいましたね。(Kindleだと600円台で買えちゃうのマジお得ですね)(でも私は基本的に紙派ですよ)
いやー、何故今まで買い渋っていたのか!
少女漫画家ねむようこ健在!って感じです。
午前3時の〜からそうでしたが、ねむようこの描く女の子はだいたい可愛いし、おしゃれだし、何にもしなくても男の子がやってくるタイプが多いし、そういう「フツーに可愛い女の子」が主人公なんですよね。(たまこ除く)(でもたまこだって細くて小さくてかわいい!)
そして衝動を行動に起こしちゃう。それもかわいい。
三久が叶くんに初めてしたキス、あれ。現実では、絶対想像するけど、絶対やれないやつでしょ。
そういうところが、大きな目をキラキラさせながら「フツーの女の子」と自ら名乗ってしまうような少女漫画なんだな。
でも、なんか悩んだりしてるのは私たちに近いんですよね。そして私たちよりすこし熱があって、よい程度に冷静で。
それが今回は初恋の呪い。初恋の君「アキト」との結婚の約束。
ありますよね、幼き日々の恋は、それはそれは綺麗に磨かれてますからね〜
めっちゃわかる!と思いましたね。
よくよく、まじまじと見つめることができれば、あの時の幼さとか、考えのなさとか、今よりもっと無知で純粋で単純だったことが見えてくるんだけど、「今現在の私」で「14歳のあの時」に立ってしまうと、たちまち全てが輝き出すんですよ。
あの恋以上のものがあるのか、とさえ思ってしまう。
でも、そんなのは幻想で、それはもはや過去と言う名のファンタジー。
それから、苦しさや悲しさや、時に憎しみや、いろんな感情にまみれて、今現在の私が出来上がっている。
でも、そんなファンタジーが、時に悲しみから引っ張り上げてくれることもある!
めっちゃわかるわ〜と思いましたね。
でも最後は好きな人と結ばれるんですよね〜それがまた少女漫画的なよさ。
恋に落ちる瞬間とかも、ハチミツとクローバーじゃないですけど、いいんですよ。
叶くんが三久に恋に落ちる瞬間とかね。
血が赤くて。
また会って、どきっとする時の胸の締め付けとか。(この描写が、ねむようこの真骨頂だと思ってます)
あと。ちょっと気になること言われちゃってお腹のあたりがチリチリするのとか。(これも)
叶くんに、過去の結婚離婚のこと、「気にしてないよ」って言われた時の、チリチリ。
やっぱり最高に少女漫画ですよね!
でもたまに、
「傷ついてる人はその分たくさん歩いてきたってことでしょ?」
とか言っちゃうんですよ。
我々みんな全肯定!みんなたくさん歩いてきたよね!万歳!
ありがとうございます!
そしてこれね。
「アキト…あのね、私はもう中学の頃のあそこにはいないよ」
「アキトもいつまでもあんな所にいちゃダメだよ」
うわーん。
中学の頃のあそこ、というワードの青臭さにむせる!
でも生理前のイライラとして処理する感じ。
そして、結論のきもちよさ!
「午前3時の無法地帯」では、ももこの「仕事ナメんな。」でしたね。きもちいー!
今回は「人間に与えられた運命なんてね、いずれ死ぬってことくらいなのよ」
でしたね。
クゥう。魔女のおばーちゃん、めっちゃかっこいい〜〜
孫に、「私はこの人と死にたいのよ」って言いたいですよね〜
たかまってめっちゃ書いちゃいました。
なんだかんだ、ねむようこが描く漫画は軽やかでポップですこし熱を帯びているけど、浮き足立ちすぎなくて、好き!ってことです。何よりキャラクターがぜんぶ可愛い。
いやぁ。今作もよかったです。