恋のはじめは切なくて苦しむことと知りました
これって松山千春の曲だったんですね〜
若干14歳の私は、初恋の終わりにこの曲を聴いて涙を流してました。
今思うと我ながらシブい失恋してるな。
その初恋は、そのあと何度もぶり返しては私の十代を乱していくのですが、その後は断然銀杏BOYZって感じでしたね〜
なにかと波乱が多い十代でした。
まあ、初恋の君はずっとエグザイルばっかり聴いていて、私は何枚もCDを借りていたので未だに何曲か初期の曲を歌えたりします。
歌詞がね、甘いんですよね〜思春期の女子が男の子からこのCD借りたらね、その男の子からの言葉だと思っちゃうんですよね〜(え?思わない?)
そして初恋の呪縛が解けた後、すごくすきになった先輩は、ポップカルチャー男子!って感じで。
みんなが好きな音楽は、大体知ってる感じ。その人が好きって聞いたアーティストは片っ端から聞いていて、そうやってるうちに振られましたね。
上野駅のホームで振られましたね。
勢いで告白しちゃって、ごめんねって言われて、帰りにナンバーガールの「透明少女」聴きながら帰りましたね〜懐かしい。
先輩が部室で歌ってて、それがめっちゃよかったんですよ。
総武線の中で聴いて泣きました。
その時ばかりは向井秀徳より先輩の声のがいいな、などと思ったものです。
脱線しますけど、映画「害虫」は傑作だしあの宮崎あおいは最高ですね。
そのあと、これまたすごく好きになった大学の同期も音楽詳しくて。
その人がツイッターでシェアしてる音楽とかいちいち調べてたな。中でも、andymoriは好きでしたね。よくバイト中口ずさんでは皿を割ってました。
結局振り向いてもらえないまま、空振りばっかりで終わった恋でしたね〜
つくづく、好きな人に影響されながら生きてきた、浅はかな四半世紀だったなと思いますが。
人に影響されることなくずっと好きだったものもあるんですよ。
百恵ちゃんとか、中島みゆきとか、ドリカムとか、スピッツとか。
その辺聴くと、不朽ってこういうことを言うんだな、と思います。
これまで挙げたものが不朽ではない、という意味ではないんですが、もはや一線を画しているのでは。
中島みゆきの「時代」があったからこそ生きてこれたと言っても過言じゃない。
(いやちょっと言い過ぎかも…)
ところで今付き合っている人は、音楽あまり聴きません。
もっぱらドライブDJは私です。中古で買ったために、CDとラジオしかかけられない車には、私のオススメCDがたくさんあって。
何回もかけてると、彼の方で気に入った曲とかが出てくるみたいで、「あ、俺これ好き」とか言ってくるの、めっちゃ良いです。
めっちゃいい。チョイスがめっちゃいいと、めっちゃ好き!って思いますね。
でも音楽はやっぱり、何がいい、とか、何はセンスが悪い、とかではないですよね。(なんなんだ)
シチュエーションによって聴きたくなる曲のバリエーションがあるって、いいなって思います。
音楽にとても詳しいからって、何が変わるのか、私もよくわかりませんが、そのぶん、その人は、いろんなシチュエーションを深みのある味付けで味わえてるのではないか、と思ってしまいますね。
よくわかんないですけど。
ただ思い出を語りたかっただけのエントリでした…
うちの犬
うちの犬は、白色の柴犬です。
去年の12月に知り合いのブリーダーさんの家に生まれ、
今年の2月にうちにやって来た。
体はだいぶ大きくなったけど、
まだまだ子どもの犬である。
これが、まあよく寝る。
室内で犬を飼うのが初めてなので、犬全般が良く寝るのか、子どもだからよく寝るのかは分からないけど、とにかく寝る。
リビングの隣の部屋で飼っていて、リビングには入らないように躾けてあるのだけど、私たちがいる時にはリビングとの境ギリギリまで来て、餌をねだる。餌がもらえないと分かると、その場で昼寝をする。
陽だまりとヒーターの温風とふかふかのマットも好き。誰かがいれば安心して寝る。
性格は、ビビリ。
柴犬はビビリ、とは聞いていたけど、受話器から聞こえる声や、かなり離れている玄関からの声、私たちがふざけてする犬の真似、車の音、なんでも怖がる。
予防接種が終わるまで外に出さなかったからか、外に出るのも怖がる。
アスファルトを走ることに怖がる。坂を下りるのも怖がる。登るのは平気らしい。
本当にバカだなぁ、アホだなぁ、まだ子供なんだなぁ、と思う。
そして、恐ろしいくらいに可愛い。
何をしても可愛い。
歩くだけで可愛い。いや寝てても可愛いけど。
歩いた時にお尻がプリップリッとなるのはなんなんだ、鼻血ものだ。
これまで四半世紀、犬より猫が好きと宣ってきたが、こうもあっさり覆す日が来るとは。
犬が好きだ。猫より(猫ごめん)
これまで、他人の犬(ペットの中でもとりわけ犬)の話ほどつまらないものはない、と思ってきた。
わかっている、人の家で飼われている会ったこともない犬の話なんぞ、クッソつまらないことを、わたしはよーーーく分かっている。
それでも、私はついつい、自分ちの犬がどんなに可愛いか、どんな仕草が可愛いか、どうやって餌を食べ、どうやって寝て、どうやって走り、何が好きで何が嫌いか、話したくなってしまう。
今まで冷たくあしらってきた友人たちみんなに「すみませんでした!!!!」と謝りたい。
犬はかわいいなあ。
デート
デートという響きが好きです。
その特別なお出かけ感に思わずかかとが浮いてしまう。
なので逆に、異性との、好き同士のお出かけでなくても、「かかとが浮いてしまう」ようなお出かけを、デートと呼ぶ。
たとえば、気の合う先輩(女性)とランチの約束をしても、デート。
その先輩はいつも、おしゃれで美味しいお店を知っている。
誰かに自慢したり、自分がどう見られるか気にして行くのではなく、心から自分のために(あるいは、一緒に行く相手のために)、行くのだ。
好きな雰囲気の空間に、好きな服を着て、好きな人と、好きなものを食べに行く。それら以外をほとんど全て排除して、単純にそれを堪能するためだけに行く休日のランチは、ほんとうに楽しくて幸せなのだ。
そんなランチは、私にとって他ならないデート。
また、たとえば。
気のおけない男友達を喫茶店に誘う。
映画と音楽が好きな、優しい男の子。吸うタバコの銘柄がよく変わる。
私が読んだ漫画、小説、雑誌の記事、ネットニュース、観た映画、ドラマ、CMの話、きいた音楽の話、うわさ話、世間話、恋愛の話、将来の話、日本の話、外国の話。なんでも、レスポンスがかえってくる。
いつも楽しげに、ひとの話を聞いては、ふぅん、だよね、わかるわ〜、へぇ、なんで?なんて適当な相槌を打ったかと思えば、急に思っていることを感情的に喋り出す。
私は、どんな話がひっかかるかな、などと思いながら、話したいことだけ話す。
コーヒーの匂いと、副流煙を吸い込みながら、とてもいい気持ちになる。
そんなのも、また、デート。
片思いの男の子に、ご飯食べに行こう、と誘ったけど、仕事のついでの動物園に付きあわされ、ちょっと退屈かと思いきや(いや動物園は好きなんですけど一人で行きたい派なんですよね)、昼から一緒にビールが飲めちゃったら、そりゃもうデート。
とても仲のいい友達と、初夏。海に行きたいな、海に行きたいね、と話していて、心高まっちゃって、行っちゃおうか!となって、衝動的に湘南新宿ラインに乗っちゃって、藤沢まで小旅行、そして江ノ電に乗り換えて観光気分で江ノ島についちゃって、
なんてのもデートでしょう。
そういう事を「デート」と称することで、ちょっと特別なことを日常に埋もれさせなくしている気がする。
あれもこれもデート。
かかとが浮く。
うん、いい感じだ。
ピンクとキラキラ
私は、ピンクとキラキラが嫌いな子どもだった。
物心ついた頃には、既に拒否をしていた。
あの頃(2000年前後)の子供服は、ブランドものが流行りのひとつだったように思う。
メゾピアノとか、エンジェルブルーとか、なんだか「ピンク!水色!キラキラ!」(そして同系色のキャラクター)
という服が、私たちの間では「おしゃれ」とされていた気がするけれど、
(少女マンガ雑誌「ちゃお」でもメゾピアノを着て地味女子からモデルになってキラキラ!っていう連載があった。)
ぜんぜん着たいと思わなかった。
持ち物も、黄色か、緑色か、暖色でもオレンジ。ラメやスパンコールが付いたものは絶対に選ばなかった。
その当時はおしゃれに気を使うことが恥ずかしかったのかもしれないし、
「女の子らしく」することが嫌だったのかもしれない。
確かに一時期、スカートを履くのも嫌だったことがある。
でも、おしゃれに目覚めても女の子らしいワンピースやスカートを着るようになっても、その「反キラキラ、反ピンク精神」みたいなものは依然としてあった。と思う。
とにかく全力でピンクとキラキラを回避して気づいたら二十歳を超えていた。
前職でのこと。
チームで気合を入れたい時に、他の女性メンバーとお揃いで(つまり反強制的に)、上司の女性にピンク色のネイルにラメを重ねて塗ってもらうことがあった。
可愛らしい(!)その自分の指先に、仕事に埋没する中でふとテンションが上がったのを覚えている。
その後も、自分で何度かそういうネイルをした。
男社会の中で髪を振り乱して仕事をしている自分にとって、指先のピンクとキラキラは、心のオアシス(安易な表現!)になっていった気がする。
最近、爪に蛍光ピンクのネイルを塗りながら思った、
わたしはもう、ピンクとキラキラが嫌いではなくなっているな…?
今まで、それがアイデンティティかのように感じていたけれど、
それはもう、わたしの中の呪い(「逃げ恥」で言及されていた類の)だったのかもしれない。
呪いが大袈裟なら「意地」と言い換えても当てはまる。
亡くなった雨宮まみが言っていた。
「ピンクが似合う女の子は、すでに何かに勝っている」(うろ覚え)
なるほど、と思う。
勝ち負けの表現はともかくとして、「女としての劣等感」がわたしをキラキラピンクから遠ざけていた、と思えば、なんとなく腑に落ちる。
似合う服を着て化粧をして少しおしゃれになっても、異性に好かれても、素敵な友人がいても、拭えなかったわたしの「女としての劣等感」。
それを認めた途端、ちょっと楽になった。
それでもやっぱり、ピンクの服は着ないし、ラメ入りのグロスは選ばない。
劣等感はどこかにまだ残っている。
けれど、気合を入れたいときにピンクのマニキュアは塗る。
劣等感を捨てられないまま、またそれを自覚して少し苦しくなりながら、ピンクとキラキラを纏う。
ちょっとだけ背中が伸びる。
はじめてみました
こんにちは。
ブログを書くのは、中学生ぶりで、いったいどんな文調で書けば良いのか戸惑いながら書き出している。
書き出しています、の方がいいのかな。
その方が、謙虚な感じがする。
でも、そんなに大それたことを書くわけでもない上に謙虚で稚拙な文章を書いていたら、それこそ中学生の作文になってしまいそう。
やっぱり、書き出している。にする。
いや、どうでもいいな、気分に任せよう。
自分の思っていることを、文章にして、ネットという大海にそっと流す。
多分、海底に沈んで消えて無くなる。
すっきりしそう。
というのが、ブログを始めたきっかけのひとつ。
私は、東京の私立大学を出て、東京の企業で少し働いた後、色々あって東北にある実家に帰ってきた。
職場は実家。住むのも実家。上司は家族。色々と辛いものがあるのは察していただきたい。
吐いてすっきりするように、胃のムカムカが少しでも取れるようにと、文章を書く。
でも。大したことは書かない。
感情に任せたことも、書かない、多分。
海にそっと流すように、
誰の邪魔にも利益にもならないような
言葉を発する。
ことを目標にしたい。
こんにちは、