ハートのキュウリと自意識
犬が毎日、ほぼ寝てる。
死んだように寝ているので、心配になってたまに安否確認のために起こすけど、目だけ開けて「暑いからおきたくない…寝させてくれ…」
とつぶらな瞳で訴えて来る。
起き上がったかと思えば、それまでより涼しい場所を探してはまた寝そべり、目を瞑る。
犬はいいなぁ、気楽で。
わたしも、誰かに「いいなぁ、気楽で」と思われてるんだろうか、なんて考える。
学生の頃だったら、心の中で、猛抗議していたと思う。
なんであなたに気楽だと決めつけられなきゃいけないんだ、人の大変さを決めつけるな、とか言って。心の中でね。
いまでも、言われたら腹は立つけど、なんだか「ラッキー」と思えるようになった。かもしれない。
わたしはまあ、多分それなりに頑張って生きてるんだけど(自己肯定力)、その必死さが表に出ていないというのは、
まだまだ余力があるってことだし
競争相手を油断させられるってことだし
涼しい顔して頑張るというのは、なかなかカッコいいんじゃない。
とか思っちゃう。
必死さというのは、滲みでりゃいいってもんじゃない。
もちろん、時に滲み出た必死さはカッコいいけれど。
気楽だなと思われてるんなら、涼しい顔して成果だそうと思う。
人と接する時に見えるものを額面通り受け取るのは簡単だけど、見えてるもののその奥にある努力とか大変さを想像することは、マナーであり思いやりだよな、と思います。
それが難しい時は、せめてそこを決めつけないようにしたい。
そんなことを言いながら、人にどう思われるか必死に考えてしまうのですけどね。
相手の想像力って、なかなか信頼するのは難しい。
気楽って思われたくなくて、頑張ってますアピールをついつい挟んじゃったりする自分がいる。
難しい25歳の自意識。
まあ、だから人のことを簡単に「いいなぁ、気楽で」って言っちゃう人って、浅はか?と思ってしまう。
あ、ブーメラン。
わたしが言ったのは犬に対してだから、ちょっとは許してほしい。
そもそもこの文章がお気楽な気がしてきた。
今日の家族の夕飯、
なすと豚肉の胡麻味噌炒め
きゅうりとジャコのポン酢和え
トマトのおひたし
という三大夏野菜おかずにした。
我ながら天才的メニューだからSNSにでもあげて料理してますアピールでもしようかと思ったら、完成形を写真に撮るの忘れた。
近所のおばあちゃんからもらったキュウリ、断面がハートだった。
これはちょっと、ハートとか柄じゃなくて恥ずかしくてSNSには上げられないな。
25歳、自意識の壁は高い。