ピンクとキラキラ

世界の終わりに寿司が食べたい。

また会いにきてくれるかな

※読みやすいように一部書き直しました

※また一部書き直しました2021/1/13

お久しぶりです。

このブログを書き始めたときは25歳でしたが、

既に27歳になって半年が経とうとしています。

大変久々の投稿になりますが、今回残しておきたいことが起こったので、長めの文章を書いてみました。気持ちのままに書いてしまい、読みづらいかもしれませんが、よかったら読んでください。

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夫との結婚が決まってからの、この一年半については、あまり詳しく書くこともなく、あまりにも平凡でありふれた、でもとても幸せな日々を過ごしてきた。

夫からプロポーズを受けたときに、挙式までの貯金の話をし、おおよそ一年と少しは準備期間が必要だという話になった。
私は一人暮らし用の部屋を契約したばかりだったので、1年くらいは籍を入れずに婚約期間として別々に暮らそうと決めた。
なので実際籍を入れ、同居を開始したのは今年の1月、プロポーズから10ヶ月経ってから。
婚約期間中は、徒歩3分のお互いの家を行き来し(最後の頃には私の家でほとんど同棲をしていましたが…)、狭いシングルベッドに決して細くないお互いの体を寄せ合って寝ていた。
その間に、お互いの実家や家族への挨拶や報告を済ませ、式場を決め、両家の顔合わせをし、結婚への準備をのんびりながらも進めていた。
入籍と同居を今年の1月にしたのは、夫が転職をしたためだ。
夫が社宅を出るタイミングで、籍を入れることで、次の会社で既婚者用の社宅を準備してもらえたので、こだわりの少ない私達は実に実用的な理由で入籍の日を決めた。
もともとお互いが一人暮らしをしていたので、家具家電はどちらかのものを残す形で、ほとんど買わずに済んだのはとてもありがたかった。ベッドもお互いが持っているシングルベッドを2つ合わせても窮屈にならない寝室があり、お互いこれまでの2倍の就寝スペースを手に入れた。
冷蔵庫だけは、ファミリー用の大きいものを新しく買ったが、全体の出費が普通の引っ越しよりもだいぶ安く済んだことに2人で満足した。


同居を開始してからも、私たちは半同棲状態の時となんら変わらず、お互いが当たり前に思いやり愛し合い、その気持ちをストレートに表現することでとても平和な日々を過ごしていた。


挙式は7月末、台風と台風の合間で、幸運なことにびっくりするくらい晴れた日の昼間から行った。
2人とも大きなこだわりは無く、夫の地元の神社で、私たちを祝福してくれる親戚と友人たちに囲まれて挙式と披露宴をし、二次会までしてもらい、この上なく幸せな1日を過ごしたことは、嘘偽りなく一生の宝物になった。
そして先月の頭、新婚旅行に行ってきた。
タイのサムイ島という離島に行き、青い海、白い砂浜を眺めながら、プールに入る、ご飯を食べる、酒を飲む、寝る、セックスをする以外の事を殆どしない、実に贅沢なハネムーンで、こんな時間を共に楽しめる人と結婚して良かったと感じた旅行だった。大雨が昼から夕方まで降った1日を除き快晴だった南の島で、夫がお腹を壊した最終日以外2人とも健康に過ごすことができ、私達はなんと幸運な夫婦なんだろうとこの旅行を平和で安全に遂行したお互いを褒め称えた。

詳しく書くこともなく、と言いながら結構な長さを書いてしまった。
さてここからが今回書きたかったこと。

 

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今月(11月)に入って少しして、生理が遅れていることに気づき市販の検査薬を試したところ陽性が出た。
いつかできたらいいなと思っていた子どもが出来たことは、私にとってとても嬉しいことで、また夫も戸惑いながらも喜んでくれ、未来への期待にあれこれと想像を膨らませた。
数日後に産婦人科を受診すると、10センチ四方ほどのエコー写真に、1cmもないくらいの、小さくて黒いかたまりが写っており、適当そうなおじさん先生がそれを指しながら「これが赤ちゃんが入ってる袋、この大きさだと5週目くらいで、まだ小さくて心臓が動いてるの確認できないんだよね、また2週間後くらいに来てね」と淡々と話されたので、私もそのときは冷静に、「そんなに小さいんだ…」などと思っていた。
しかし診察室を出て、個室で今後について看護師から説明を受けていると、徐々に実感が湧いてきて、あぁ夫と私の子どもを授かることができたのだ、と心の底から湧いてくる喜びを感じた。しかも、おそらくハネムーンベイビー。あんなに幸せな空間のなかで、授かることができたのだと思うと、私達は本当に幸運な2人だと改めて感じたりした。
心拍確認はまだなものの、産院をどこにするかは2週間後までに決めてきてね、と言われたので、どこがいいかを相談するために実家の両親には電話で報告をした。
両親は、努めて冷静に振る舞っているものの、声や態度からとても喜んでくれているのが伝わってきて、少し涙が出た。夫の両親にもその後夫から報告をし、とても喜んでくれたと聞いた。


きみはそんなに小さいのに、こんなに大きな幸せを、みんなに届けてくれているよ、と、気が早いけど下腹部あたりに話しかけてみたりした。

異変が起きたのは妊娠が発覚して5日後の夕方、会社でトイレに行くとおりものに少量の血が混ざっていることに気づいた。
少しの出血はよくあることとネットでも読んでいたため、あまり心配せずその日は残業して帰り、金曜日だったのもあって疲れ果ててすぐに寝た。

しかし次の日の朝、トイレに行くとおりものシートに、今度は大きく赤い染みがついていた。おや?と思ったものの、その日は土曜日、かかりつけの病院は休みで、他の病院に行くほどでもないかなと月曜日の朝に病院の予約を入れ、安静にして様子を見ることにし、夫と自宅でゆっくりしていた。
しかし、その後出血は止まらず、おりものシートを生理用のナプキンに変えた。トイレに立つ度悪いことばかりが頭をよぎり、私の気分はどんどん暗くなっていった。安静にしていなければと横になっていてもどんどん不安が積もっていった。
夜になっても出血は止まらず、いよいよ流石に出血量が多すぎると思い、日曜日に急患でも診療している婦人科のある病院を探し、夫に付き添ってもらいながら受診しに行った。

ネットで調べていると、既に、この量の出血では、「何か」が起こっている可能性が高いことは何となくわかっていた。
でももしかしたら、「たまにあるんですよ、大丈夫ですよ」と言われるのではないか。そんな期待を持ちながら混んでいる総合病院で順番を待った。
最初に看護師さんから呼ばれ、問診を受けた。出血量、妊娠は初めてか、手術歴は、などのあとに、
「袋状のモノとか塊って出てきた?」
と聞かれた。その時、前日の出血でナプキンについていたものを思い出し、「あぁ、あれがもしかして、」と。

そのときは変なおりもの、と思ってトイレに流した。
あれがもしかして、私たちの子供だったのか。

と、看護師さんの聞き方から、思った。
その瞬間は、冷静に受け止めたつもりだったが、夫の座るベンチに戻り、手を握ってもらった瞬間に、漠然とした辛さが押し寄せて、涙が出た。まだ決まったわけじゃない、まだそうと言われたわけじゃない、と自分に言い聞かせながら、診察の順番を待った。
診察の順番はあっという間にやって来て、まずは尿検査、その後エコー検査という順番に流れていく。
産婦人科の、検査用の椅子に座り、機械入れますねーと言われて冷たい感触が走った。そして先生が、エコーの機械を左右に動かしながらモニターをこちらに見せてくれ、ゆっくり話しかけてきた。

「あのね、多分週数的に見える大きさになってるはずなんだけど、、こないだ見えたっていう赤ちゃんの袋がみえないんだよね…うん」

と先生が言ったまま無言になったので、わたしは無意識に「はい…」と返事し、それが合図みたいになり「あっちで一度お話ししましょうね」とエコー診察が終わった。
診察室に戻り、エコー写真をみせられた。何も写っていない白黒の影だけの写真。

先生はとても優しい声で喋りはじめた。
「あのね、すごく残念だけど、出血量とエコーで見ると、流れてしまっている可能性が高いと思います。この段階でのね、流産は、化学流産といって、ほんとどうしょうもないの。エコーでもちょっと袋が確認できないから…でも、今回急患なので、かかりつけの産婦人科でもう一度見てもらってね、エコーの機能とかも違いがあるし、早めに見てもらってね。今日は安静にして。旦那さんもいいですか?流産の可能性が高いです。今日1日は横になって寝て安静にしてね。」
先生はほんとうに優しい声で、私たちにそう言った。
途中からは涙が溢れてしまい、前を向けなくなったわたしに、脇から看護師さんがティッシュをくれた。
診察室を出てからも全然涙が止まらなかった。
こんなにも体が引きちぎられそうな悲しさは初めてだと思った。

本当に、妊娠しているとわかってから数日間だった。
これが何週間も経ってから起こる方もいるし、その方が辛いと言われたらそれはそうだと思う。でも、ほんの数日でも想いを寄せた多くの未来が一瞬で消えてしまったような気持ちに、私は参ってしまい、油断をすると涙が溢れてきて、夫は隣でわたしの手をさすったり、背中をさすったり、多分なんと声をかけていいか分からずに無言で、ずいぶんとオロオロさせてしまった。泣いてばかりでお会計もできない状態だったので夫が代わりに行ってくれた。
そのあと、少し歩きたくなり夫に手を繋いでもらいながら知らない街を一駅分散歩をして電車に乗った。夫の手の温かさがありがたかった。


悲しいときには、お腹いっぱい温かいものを食べる、と経験から決めていて、夫にワガママを言いはなまるうどんで温かいうどんと、おでんと、コロッケを食べた。
やっぱりこの方法はテキメンで、食べているとスっと涙がひいていった。
でも、店を出てしばらくするとまた悲しい気持ちが襲ってきて、結局夫に背中をさすられながら街中を歩いた。夫は何も言わなかった。実際夫がどれくらいショックを受けているか分からないけれど、こんな時に黙って背中をさすってくれる人と結婚してよかったと思った。とても優しいと思った。

妊娠が分かってから、たくさん、たくさん未来を想像して、その中では確かに私たちにたくさんの幸せを届けてくれたわたしたちのこども。
まだ心臓の動きさえ見えないほど小さかったけど、確かに私たちの間に、数日だけだったけど、存在してくれた。
ありがとう、って思う(と涙が出る)


一方で、何が悪かったんだろう、何か私に責任があるのではないか、わたしがちゃんとしてなかったからじゃないか、と自分を責める気持ちがどうしてもでてきてしまう。

夫も君のせいじゃないよ、と言ってくれる。

実際、妊娠初期の流産は一定割合で起こる染色体異常によるものがほとんどで。受精の瞬間に決まっていた流産の運命は、母親に影響されるものではないのだ。自分を責めることなんてない、と思いながらも、何か理由を探さないとやってられないみたいな気持ちになっていた。しょうがないなんて、悲しすぎる。

その夜、夫の両親から電話がかかってきて、安産祈願で有名な神社にお参りしてきたのよ、悪阻が辛かったら息子を頼ってねと言ってくれた。
まだ、主治医の先生に診てもらっていないので報告はしないでおこうと思っていたので、「まだ妊娠している体」でお話をした。
「そうなんです、ちょっと悪阻の症状があって、でも大丈夫です、お正月はご挨拶に行きます、ありがとうございます」と。
電話でよかった、と思った。だって、笑いながら話しているのに、涙が止まらなくなってしまったのだ。
こんなに喜んでくれてるのに、明日には残念な報告をしなければならないのが本当に辛くて申し訳なかった。

月曜日の今日、主治医の先生に診てもらい、確定的な言い方で「流産です」と告げられた。悲しくて仕方ながなくてずっと涙が溢れて止まらなくて、遠回りして職場に向かった。

なんとか泣き止んで、気持ちを入れ替えて仕事に集中しようといつも通り出勤したけれど、どうしたってぼうっとして次の瞬間には涙が出てきてしまい、事情は知らないけど体調が悪そうなのを心配した同僚たちにも帰りなさい、と言われ帰路についている。

夫や両親に報告すると、まず一番にわたしの体調を気遣ってくれ、できるなら仕事を休んだ方がいいと言ってくれた。こうして思いやってくれる人がいてほんとうに有り難いと思う。わたしは本当に幸運だ。


夫との間に、子どもがいてもいなくても私達は楽しく幸せに、幸運だと感じる人生を過ごしていくだろうと思っていた。お互いの両親も、無神経にプレッシャーをかけてくるような人たちじゃない。
それは今でもそうだけど、一度こんな経験をしてしまうと、また会いたい、また訪れて欲しいと思ってしまう。
無理に子どもが欲しいとは思わないけど、
出来ることなら、また会いにきて欲しい。

 

 

※ここ数日で起こったことを、書き殴ってしまい、とても見づらい文章になってしまい申し訳ないです。これはわたしの感じたことの備忘録として書きました。

何も役に立つことは書いてないけど、誰かに読んでもらうことでわたしの気持ちの供養にしたいとおもいます