トラウマと言うには足りぬ話
8月も下旬にさしかかって思うことは、8月が全然8月っぽくなかった。
こんなこと8月に言ったら、「わたしらしいって何?!どんな私でも私は私だよ!」とか言いそうー。なんちゃって。
つまり、仙台、ずっと寒いままでした。
暑い〜って全然言わなかった。
やる気が出ないのを暑さのせいにできなかった。
その代わり、じめっとしていて、なんだかやる気が出なかったけど。
来月は、残暑がすごいのだろうか…
野菜とか、良いものが出回らない上に高騰しそうだなぁ、大丈夫かなぁ、農家の皆さんご苦労様です、
そういえば。
低気圧のせいかわかんないんだけど、ここのところあんまり気分の良くない夢を見る。
こないだは、東京OL時代にとてもお世話になった先輩(よく怒鳴られていた)が出て来て、何かわからないけどずっと怒鳴られていて、どんどん辛くなっていく夢だった。
まぁ、夢から覚めたら大したことないんだけど。
こういう夢をたまに見る。
前の記事(仕事を辞めた話 - ピンクとキラキラ)で書いた事は嘘じゃないし、本当に先輩のことを尊敬していたし、今後もずっと忘れられない先輩だと思うんだけど。
そして、仕事を辞めると決めたのは、その仕事が嫌になったからとか、先輩が嫌になったからではないんだけど。
でも、どっかで、どんどん疲弊している自分がいたのだと、今では素直に認められる。
夜中3時に怒鳴られること、
24時間以上起き続けることを前提にしたスケジュール、
自分の体を後回しにすること、
無茶苦茶な予算ぐり、
専門的な知識を経験で詰め込まなければならないこと、
莫大な大事なことがどんどん流れていってしまう会議も、
疲れていたんだなと思う。
一年目の時に、取引先から120万円でもらった見積もりを、60万円に値切れと言われた。
人件費、機材費、ハコ代、どう考えても半額じゃ採算がとれないことは自明だった。
今後もそこに仕事を回すこと、今回もなるべく最小限のエネルギーしか使わないことを約束してなんとか55万-85万にまで、交渉のベースをもっていった。
こちらは60万に持っていくために、50万からスタートしている。向こうは、最初の値切れて100万、から85万まで下げてくれているのだ。
向こうの営業も、わたしも半泣きで、「ここがうちでも限界」と「こちらも頑張るからもう少し下げてくれ」の応酬を何度もして、最終的に税込80万でなんとか、と言われ、もはや限界を感じて上司に相談した。めちゃくちゃ怒鳴られた。
60万っつったらそれ以上はありえねぇんだよ、この予算で20万のプラスどうにかなると思ってんのか。甘い交渉してんじゃねえぞ。
と言われた。
いったん自分で予算書を見直して
「ここと、ここと、ここを削ってどうにか10万捻出して、あと10万は全体的に細々削るとかでどうにか…」と改めて相談すると、色々ダメ出しはされたけどどうにか最低目標利益率ギリギリのラインを守れそうなところまで目処がついたのでよかったけれど。
そういうことが、何度かあった。
あと、エキストラ会社にエキストラを頼む際、通常¥10000/1day拘束、交通費別、などと会社ごとに最低ラインが決まっている。それをわかって、¥8000/1dayでお願いします、と毎回電話するので、最早迷惑業者並みだった気がする。決まり文句は「今回、予算がない仕事で…」。
予算がない仕事じゃなかったことがない。
もちろん広告の全てがそうじゃない、お金のある仕事はきちんと支払える。わたしの担当する広告が、お金がないものばかりだったのだ。
そこをなんとか…と毎回電話口で頭を下げた。
泣きそうになりながら、先輩に怒鳴られながら相談しつつ、電話口では「お金が厳しくて…そこをなんとか…」って繰り返した。
もっとうまく交渉できたらよかったんだろうか、なんて考えてしまう。
そういうことに、疲れていたんだと思う。
辞めるとき、やめた直後は、「私は仕事が辛くて頑張れなくなってやめたんじゃない、自分で別の道を歩むことを決めて辞めるのだ」と思っていた。
社長が「うちを辞めるのなら、頑張れなくて挫けて辞めるのではなく、別な目標を持ってやめてほしい」と言っていたのを聞いて、「そうだな」と思っていた。
確かに私は別な目標を見つけて辞めた。
でもそれが100%かと言われたら違うと、今なら言える。
前は、ただの「辛くて辞めた新人」になりたくなくて、そういう変なプライドがあって、言えなかった。
でも、結局あそこはやっぱり異常なところだったのだから、疲弊して辞めてもなんのプライドも傷つかない。
あの働き方改革から程遠い労働場は、今後もしばらく改善されることはないと思う。諸問題は、クライアント、代理店、制作会社、そして技術スタッフなどたくさんの問題が複雑に絡み合って発生しているから。
ただ、そういう働き方を求める人もいるし、やりがいの搾取を自ら望む人もいる。他をかなぐり捨ててもあの職に就きたいひとがいる。それは自由だけれども。
でも、こういう労働場にいる人は、下の人に「辛いからって辞めるな」とは言っちゃいけない。そりゃ、辛いことの先に素晴らしい世界が待ってることもある。目標を持って進んでいれば、自ずとその先が拓けてくることもある。それは、他人に教えてはもらっても、強要されることじゃないと思う。
私は、疲弊して辞めたのだ。
目標を持ってやっていたけど、前が見れなくなった。
次の目標に逃げたのかもしれない。
その目標は、後付けだったかもしれない。
それでも、わたしはあれ以上あそこにいれなかった。
それでいい。
ながくなってしまった。
先輩に怒鳴られる夢を今でもみる。
トラウマみたいで先輩には悪いけど、こんな涼しい8月に背中にどっしり汗をかいて目覚めるくらいには、嫌な思い出だ。
ごめんね先輩。
きのう、彼氏がカズノリイケダのケーキを買ってきてくれていた。
こんなこと滅多にないので、やましいことでもあるのかと聞くと、
「これ以上痩せられても困るなと思って」
と言われ、全然痩せてないけど食べた。
しゃぶしゃぶをたらふく食ったあとにケーキを食べた。
そして夢も見ずぐっすり寝た。
よき。