ピンクとキラキラ

世界の終わりに寿司が食べたい。

自己肯定力はすごいよ

過保護のカホコをhuluで見た。

 

感想、

わたしも大して変わらない育てられ方してんな

である。

 

まあ、高校卒業と同時に東京で親元離れてるし、あんなに素直にスクスクとは育っていないし、今ではだいぶひねくれちゃってるので、カホコとわたしはちょっと違うけど。

 

わたしは、祖父母にとっては初孫、曽祖母にとっては初ひ孫、叔母たちはまだ高校生と大学生の時の初姪、そして両親にとっては第一子。


10人以上の裕福な大家族の中で、私はみんなの愛情を受け、自己肯定力を存分に養って育った。
弟や妹が生まれてから、私1人への視線や注目は減りはしたけど、それでも有り余る愛を受けていたことは想像に容易い。
なぜなら、カホコと同じく、我が家にはおびただしい数のホームビデオがあり、昔のハンディカムのテープもきちんとDVD化してある。そこに、些細な日常のワンシーンでさえ愛を受けている私が映っているのだ。
私も母も、そのDVDを観るのが大好きで、ドーナツを食べながら黒木瞳高畑充希が楽しそうにDVDを観るシーンは自分とかぶって笑ってしまった。

 

私は自分の幼い頃のアルバム(こちらもおびただしい程の数ある)を開くのも好き。

わたしは、顔が先天的に野暮ったくて、ぺちゃんこな鼻に、真っ赤でパンパンな頬、大きく垂れ下がった眉毛はいつの時代も変わらないのだけど、それが何故だかたまらなく可愛く思えてしまうのだ。

自分の自己肯定力恐るべし。

 

でも、私は、甘やかし、心配し、おせっかいを焼き、 過剰なスキンシップをし、変わらぬ愛情をわかりやすい形で注いでくれた、過保護な家族たちに心から感謝している。

 

いざというとき、わたしは家族にもらった自己肯定力によって守られていることを、大人になってとても感じる。

 

大学で、弄りの延長線上でいじめに近いことをされて、友達にも「自業自得だ」と言われて、でも笑っていなきゃいけなくてすごく辛い時も。

 

仕事ができなくてできなくて、上司に怒ってももらえず、情けなくて逃げてしまったときも。

 

この状況から脱するには死ぬしかないんじゃないかって思ったときも。

 

わたしはギリギリのところで、自分に「それでいい、生きてるだけでいい」と言ってあげられる力があるということ、それは家族がくれたものだということを、だんだん理解してきた。

 

きっと、それが表出していることが、面白くない人もいるし、イラつく人もいると思うけど、わたしは、この力のおかげでこの先の人生、なんとか生きていけると思うのだ。

それは本当に幸せなことだと思う。

 

まあ、過保護とはまた違うかも知れないけれど、カホコもきっと、同じ力でもって生きていけると思った。

 

まあ、過保護にはほどがありますね。

 

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私3歳くらい。可愛いですね