お見舞いと喪服
先日、父方の祖父のお見舞いに行った。
私が暮らしているのは母方の実家で、つまり父は婿養子ということになる。
祖父から見ればわたしは年に2〜3回顔を見せるだけの外孫だけど、行くたびにとても優しくしてもらった。
お酒好きだったので、お酒が飲めるようになってからは更に喜ばれた。
父も同じ仙台市内の出身なので、祖父の入院している病院も仙台市内にある。
祖父は1年半ほど前に脳梗塞を起こして倒れ、寝たきりになってしまった。
一時は意識もなく危篤状態で、前職に勤めている時だったので、上司に「祖父が危篤なので、もしものことがあれば急に休むことになるかもしれません」と言っていた。
結局、そのもしもの休みをとる前に前職をやめたのだけど。
私が仕事をやめて、やっとお見舞いに行けた頃には危篤状態から抜け出してはいたけど、実際に祖父の状態を見ると、やっぱりショックだった。
目は僅かに開いているけど私たちが来ても動かず、そこに生気がなく、色は霞んでいて、顔色が悪く、ふくよかだった体は萎んだみたいに痩せていた。
鼻や口には数本のチューブが刺さっていて、とても半年前まで元気にお酒を飲み、食べ物を食べ、歌を歌っていた人には思えなかった。
病室を出た後に、トイレで泣いてしまったのを覚えている。
父や母は、こうなった人を今まで何人か見て来たこともあってか、反応がなくてもいろんな話をしてあげていた。私も祖父に報告したいことが色々あったはずなのにその時は全然話せなかった。
でも。1〜2ヶ月に一度程度だけどお見舞いに通えるようになってびっくりしたのは、祖父がだんだん元気になって行くことだ。
回復を願ってはいたが、初めてのお見舞いの様子を見る限り、死がすぐそこまで近づいているのを感じ、どこかで諦めていた。
今でももちろん喋れはしないのだけど、私たちが来ると目は動き回り、そこには生気があり、顔色もどんどん良くなり、私たちの問いかけに、首を振ることで答えられるようになっているのだ。
今回は、冗談に声を上げて笑うこともあってとても驚いた。
始めはダランとたれていた手で、自分で布団を肩まであげたりする。
ご飯はドロドロ?まずい?と聞くと、ウンウンと頷いていたりして、生命力。生命力、というものを、感じた。
自分に余裕が出て来て気付いたのだけれど、父も母も対応に慣れているだけで、自分の親が寝たきりになったのは辛いに違いない。
特に父は、実の父だし、急にこんなことになって辛くないはずがない。
でも、生死にとても近い仕事をしているから、そこのところは冷静なのだ。自分の兄が震災の津波で流されて死んだ時も、とても冷静だった。
でも、きっと母にさえ弱音を吐かない父は、戸惑っていない訳ではないと思う。
私にとっては、生まれた時から老人だった祖父だけれども、父にとっては若い時から知っている父な訳で。
お医者さんに言わせれば「これ以上ないほどの回復状態」らしいけれど、やっぱり、もっと、もっと回復してほしいと思ってしまう。
お見舞いの帰り、以前から、叔母のお下がりでサイズの合わない喪服しか持っていないので買わなければと親と話していたことを思い出し、百貨店に寄って喪服を新調した。
とても可愛い形で、私の体型にもぴったりの、ワンピース型の喪服を買えて満足はしたのだけど、お見舞いに行った後に喪服を買うと言うのは何とも後味が悪かった。
この喪服に初めての袖を通すのはいつだろうと思うと何だか憂鬱になったし、黒い服だらけの売り場に父を連れて行ってしまったことに少し罪悪感を感じた。
そういう細かいところも気遣える人間になりたい。
美味しい鰻屋さんにて、白焼きと焼酎でもやもやを飲み込む。(白焼きと焼酎なら糖質制限的にセーフ。本当はうな重が食べたい)
明るいうちの鰻とお酒は最高。いつか祖父と食べたれたらいいな、と思う。
昨日は、彼氏の部屋の大掃除をして(すごく汚かった)、お昼にインドカレーを食べて、今度の連休で行く岩手旅行の計画を立てた。
小岩井農場で、ソフトクリームたべて、水上ハムスターをして、バーベキューをして、バンガローに泊まる。
↑水上ハムスター、めっちゃ楽しそうじゃないですか?
BEAMSで可愛い生地の黄色いシャツを買ったので着て行こう、きっと芝生が似合うから。
何だか、キャンディーズ口ずさみたい気分。私はスーちゃん派なのです。