ピンクとキラキラ

世界の終わりに寿司が食べたい。

ピンクとキラキラ

私は、ピンクとキラキラが嫌いな子どもだった。

 

物心ついた頃には、既に拒否をしていた。

あの頃(2000年前後)の子供服は、ブランドものが流行りのひとつだったように思う。

 

メゾピアノとか、エンジェルブルーとか、なんだか「ピンク!水色!キラキラ!」(そして同系色のキャラクター)

という服が、私たちの間では「おしゃれ」とされていた気がするけれど、

 

(少女マンガ雑誌「ちゃお」でもメゾピアノを着て地味女子からモデルになってキラキラ!っていう連載があった。)

 

ぜんぜん着たいと思わなかった。

持ち物も、黄色か、緑色か、暖色でもオレンジ。ラメやスパンコールが付いたものは絶対に選ばなかった。

 

その当時はおしゃれに気を使うことが恥ずかしかったのかもしれないし、

「女の子らしく」することが嫌だったのかもしれない。

確かに一時期、スカートを履くのも嫌だったことがある。

でも、おしゃれに目覚めても女の子らしいワンピースやスカートを着るようになっても、その「反キラキラ、反ピンク精神」みたいなものは依然としてあった。と思う。

 

とにかく全力でピンクとキラキラを回避して気づいたら二十歳を超えていた。

 

 

前職でのこと。

チームで気合を入れたい時に、他の女性メンバーとお揃いで(つまり反強制的に)、上司の女性にピンク色のネイルにラメを重ねて塗ってもらうことがあった。

 

可愛らしい(!)その自分の指先に、仕事に埋没する中でふとテンションが上がったのを覚えている。

その後も、自分で何度かそういうネイルをした。

男社会の中で髪を振り乱して仕事をしている自分にとって、指先のピンクとキラキラは、心のオアシス(安易な表現!)になっていった気がする。

 

最近、爪に蛍光ピンクのネイルを塗りながら思った、 

わたしはもう、ピンクとキラキラが嫌いではなくなっているな…?

 

今まで、それがアイデンティティかのように感じていたけれど、

それはもう、わたしの中の呪い(「逃げ恥」で言及されていた類の)だったのかもしれない。

呪いが大袈裟なら「意地」と言い換えても当てはまる。

 

亡くなった雨宮まみが言っていた。

「ピンクが似合う女の子は、すでに何かに勝っている」(うろ覚え)

 

なるほど、と思う。

勝ち負けの表現はともかくとして、「女としての劣等感」がわたしをキラキラピンクから遠ざけていた、と思えば、なんとなく腑に落ちる。

 

似合う服を着て化粧をして少しおしゃれになっても、異性に好かれても、素敵な友人がいても、拭えなかったわたしの「女としての劣等感」。

それを認めた途端、ちょっと楽になった。

 

それでもやっぱり、ピンクの服は着ないし、ラメ入りのグロスは選ばない。

劣等感はどこかにまだ残っている。

けれど、気合を入れたいときにピンクのマニキュアは塗る。

 

劣等感を捨てられないまま、またそれを自覚して少し苦しくなりながら、ピンクとキラキラを纏う。

 

ちょっとだけ背中が伸びる。