こじゃれた気分
夏の高校野球、宮城大会は、準決勝の仙台育英vs東陵高校が延長15回で引き分け再試合と盛り上がっております。
これは、少し目を離した隙に、犬に噛まれ、無残な姿になった、私のアイフォンケース。
すごく怒ったのに、全然悪びれない表情で私の足にまとわりついてくるので、憎めない。
昨日は、午前中だけ学校だった。
前日の夜、勉強の途中で寝落ちしてしまい、朝方まで椅子の上で寝てしまったので、すごく体が怠かった。
でも、土曜の授業は休みたくなかったので、重い体を運ぶようにして何とか、仙台駅まで着いた。
午前中で授業は終わるので、学校へ直行しても良かったのだけど、何となく寄り道したくて、駅の中にあるファミリーマートに寄って、ぐるっと一周した。
特に買いたいものがなかったので、無駄にもう一周してからファミリーマートを出て、いつもと同じ地下通路に入る。
すると、向かいから何だか知ってる人が歩いてきた、と思った直後、すぐにそれが彼氏であることに気付いた。
彼氏の仕事場は、私の通う学校のすぐ近くにあるのだ。
突然のことに、なかなかにびっくりして
「お」
「おぉ」
「おおぉ〜〜」
と、「お」だけで会話した。
そのあと壁際に寄って、
仕事中でこれから外回りにいくこと、
寝不足で眠いこと、
今度の花火に着ていく浴衣を実家から送ってもらうことを聞いた。
私は、
これから学校に行くところだということ、
昨日椅子で寝てしまって体が怠いこと、
花火の日、男性の浴衣の着付けは初めてなので、午前中からさせてほしいことを話した。
つい先日会って、また数日後に会う人と、偶然会って、他愛もない会話をして、じゃあね、と手を振っただけなのに、急に体が軽くなって、寄ろうと思っていたサンクス(もう既に売っているものはファミリーマートだ)には寄らずに学校へ直行した。
彼氏は偉大だ。
私は、大学卒業ギリギリで自動車免許をとれたのも、
前職のとき、激務でも、たまの休日には外で楽しいことをしようと思えたのも、
また前職をきちんとやめれたのも、
今勉強を頑張れているのも、
彼氏のおかげだと思っている。
普段は頼りないけれど、いざという時は多分頼りになるし、この人と歩いていれば自分は大丈夫、と思える。
そういえば。むかし、
「いざという時頼りになるけど、普段は頼りない人」と
「普段は頼れるけど、いざという時には役に立たない人」と
どちらが良いかという話を友人としたことがある。
私は前者、友人は後者がいいと言って、お互い一歩も譲らずになんだか喧嘩みたいになってしまった記憶がある。
友人もきっと、嫌な例を見てきたから喧嘩になる程、強く主張したのだと思う。
友人が見ていたのはきっと、普段から頼りない人間が、いざという時に責任を買って出た(そしてあまりうまくいかなかった)、というようなことだろう。
逆に、私は、家業が生死に関わるところの仕事をしているので、後者のような人間を山ほど見てきた。
最悪なのは、普段は仏のような仮面を被って人格者のような顔をしているのに、いざ人が病気をしたり死んだり大きいことが起こって、重大な責任が発生すると我先にと逃げたがる人間だ。
最悪パターンじゃなくても、そういう人間をたくさん見てきて、絶対ああいう人間とは自分の大事なことを共有したくないと思ったのだ。
もちろん、普段から頼り甲斐があって、いざという時も頼れる人間が1番なのだけど。
私は自分の選択は間違ってないな、と思っている。
もちろん、どちらが正しくてどちらが間違いということはなくて、人と人は、補い合うものだし、相性というものもあるし、二極論では到底語れないけれど。
つまり、私に関していえば、彼氏という選択は、いい感じ、ということだ。
話を戻すけど、彼氏は、いいやつ。
惚気みたいですみませんね。
夜は、賞味期限切れの取り寄せラーメン(冷凍)を食べて、ものすごい腹痛に襲われて、お腹を抱えて寝た。
朝起きたら、すっかり治っていた。
今日はとても、静かな1日だった。
雨の音が優しい、というこじゃれた表現を覚えたのはいつだったかなぁ、などと思った。
そういう、こじゃれた気分だった。
早稲田を受験する時に1万回くらい聴いた。清宮くん残念だったね。
トゲトゲ
最近、13時過ぎからヒグラシが鳴き始めるのでたまったもんじゃない。
ヒグラシは夕方に鳴いてくれ。
あと、みーんな、フジロックか布博の写真をSNSにアップしていてたまったもんじゃない。
楽しそうで何より。わたしも行きたい。
なんか心がトゲトゲしている。
そんなときに、両親が、弟(家業を継ぐ予定)の恋愛にどれくらい関わるかという喧嘩をしていて、心の中はキレたカホコ状態です。
うるさいうるさいうるさいうるさい!だまれだまれだまれだまれ!!
いくら後継だ、嫁だっていったって、この平成の世の中、ハタチ過ぎた息子の恋愛に口出ししない方がいいと思う。
本人のいないところで"も"!
確かに、恋の熱に浮かれてる感も、二人とも幼稚で危うい感も分かるけれども。
そこはもうほっとこうよ。
公人なわけでも、不倫してる訳でもないんだからさ!(時事問題)
という態度を取っていると、
母「アンタは他人事だからいいよね!私は結婚したら一緒に仕事して一緒に住まなきゃいけないんだからね!」
と。
エェェ〜〜そういうことじゃないんだけどな。ため息が出ちゃうわ。
私の好きなものすごい愛(@a_bazure)さんが、ご両親と彼氏の初対面した話を書いていたので、このトゲトゲを和らげるために、わたしも彼氏と両親の初対面の話を書きます。
父親譲り - 傘はある https://t.co/wWFk5u8rWQ
— ものすごい愛 (@a_bazure) 2017年7月28日
まず、わたしの彼氏は無口。
人と積極的にコミュニケーションをとれるタイプではなく、初対面の人、特に目上の人との会話で、話を広げたり自分の話をしたりするのが苦手な人。
別にわたしは、そんな事はたいして重要じゃないと思ってるし、そのぶんの無駄なコミュニケーション能力はわたしが持ってるのでいいと思ってるのだけど。
でも、わたしの親は分かりやすく
「育ちの良い、明るくてハキハキとした爽やかな良い子」
が好きなのは目に見えてわかっていたので、ちょっと会わせるのが不安だった。彼氏、育ちは良い方だし、爽やかでないわけではないとはおもうんだけど、明るくてハキハキって感じではないから。
おまけに、母は割と辛口評価な上に、父はそういう母の意見に流されやすい。
その代わり、父は、自分が一度口に出した事は意地でも曲げないけど、母は割とコロコロ意見を変える。
結婚の話がなんとなく出始めて、私の親が彼氏に会いたいと言い始めた時、私は思った。
2人同時だと、会った直後に母が辛口率直意見を言う→父親賛同するとともに完全にこの印象から抜け出せない。母がそこから印象回復しても父はしない。
というストーリーが目に見える…
自分の両親が、彼氏に少しでも好印象を持ってもらいたいというめっちゃ良い彼女の良心から、どっちか最初に単独で会わせりゃいいんじゃないか?と閃いた。
そんな時に、父が東京へ出張で来るというので、「ヨシキタ!!」とばかりに張り切って彼氏と父親との食事をセッティングした。
しかし。
まだ前職を辞める決意をする前だったのだけど、
まず私が、早く終わるはずの仕事が、クライアントの急な予定変更で驚異の2時間押し、
21:00の待ち合わせ時間に1時間半の遅刻をし、別々に待たせていた父親と彼氏、両方を激怒させ、2人は私の仕事に関しての文句で意気投合して、結局その日は、私が2人に「仕事を辞めろ」コールをされた記念日になった。
お陰で父の彼氏への印象は「価値観が合う奴」となった。
その後、仙台にて四者面談が開催されて、母は案の定「良い人そうだけど、もっとハキハキしゃべれば良いのにね〜〜、全然こっちが話題振っても広げないよね〜〜」と辛口評価だったけど、父は「頼りないけど、絶対悪いことできなさそうじゃん」と割と流されずに持ちこたえてくれた。
ちなみに彼氏の両親の印象は「めっちゃ喋る」だった。
わたしは「お前が喋らないんだよ」と思う一方「確かに」とも思った。
わたしもめっちゃ喋るが、両親も初対面の人との席でこれでもかと喋るので、彼氏はそのマシンガン的スピードについてこれなかったのだ。
家族でいるときは、マシンガン的スピードなことになど気付かなかったから、外の人から見ないと分からないものだな、などと感心していた。
ここまで書いて、心のトゲトゲの原因がひとつ分かった。
今日、服の中にちっちゃい毛虫が入っていたのだ。
心だけじゃなくて体もチクチクトゲトゲである。
ほんと、虫はきらいだ。
サボタージュ
最近学校をサボっている。
火水木とある19:00〜21:30の授業をサボっている。
サボる、というのはなんて甘美な響きなのだろう。
サボる、と言いたいだけのような気もする。サボタージュ。
話は変わって、大学の時に入っていたゼミ内で「えこひいきの会」というのがある。
その名の通り、ゼミの先生と、先生が個人的に気に入っている同学年の生徒(わたし含めて3人)で構成する会であり、主な活動はお酒を飲みながら最近あったことを報告する(特に悪いこと)、呑んだくれながら先生の虚弱なメンタルを回復させる、といったところ。
「えこひいき」の是非に関する先生の言い分としては、
大学在学中は全員同じ授業料を払って、それぞれの熱量を持ってゼミに参加しているわけだから、教授によるえこひいきは許されないが、
一旦大学を卒業してしまえば、授業料も熱量も関係なくなり、ゼミにおけるディスカッションで考え方や性格を見て「えこひいき」したいと思っていた元・生徒を、元・ゼミ教授が個人的に会合に誘うだけであるので問題ない。
という、なんだか納得させられてしまう理屈である。
ちなみにわたしの学年は「えこひいきの会」という名前であるけれど、上の学年にも下の学年にも同様の理屈にて結成された様々な会が各学年1つは存在する。
教授の闇を感じる。
さて、その「えこひいきの会」のお誘いが久々に来た。
残念ながら参加はできないけれど、どんな話が繰り広げられるのか、想像するだけで楽しい。
ちなみに、うちの学部のゼミは、各ゼミの説明会があり、希望を出した後、教授との面接とそれまでの成績で選抜されるのだけど、
だいたいのゼミは成績がよければ入れるところばかりのなか、
うちのゼミは、成績はほとんど見ず、教授が「こいつ面白いな」という独断と偏見により選抜されたメンバーが集まるので、ディスカッションが本当に面白かった。
教授の独断と偏見で選ばれたとはいえ、考え方や性格が偏っているかといえばそうではなく、確かにちょっと変わった人たちの集まりだったのだけれど、「ディスカッション・議論を盛り上げることのできる能力」が高い人が多いという感じだった。
というのは、ディスカッションというのは1つの議論について賛成反対に別れて意見を戦わせるものだけれど、
だいたいの場合、用意してきたこちら側の意見と想像していたあちら側の意見がぶつかって、想像の範囲をでない結論に落ち着く。
私はそういうやる気のないディスカッションしか経験してこなかったのだけれど、このゼミではそんなディスカッションなどなかった。
ディスカッションは、用意していたこちら側の意見と、想像していたあちら側の意見がぶつかるところは同じなのだけれど、そのぶつかり合いが、どんどん具体的な事象の議論から、社会学的な議論に昇華していくのだ(社会学部なのでね)。しかし元の議論は忘れず、よって議論は2時間も3時間も続いたこともあった。
それは決して平行線ではなく、どんどん登り続けていく螺旋のように、ときに尽きないおしゃべりのように、続いて、広がっていく私たちが作り出す世界は、あらゆる議論の可能性に満ちていて美しかった。
私はそのゼミは一度もサボらなかった。
一回とてその世界を体感するチャンスを逃したくなかったから。
あのゼミは、サボタージュという甘美な響きを超えた、美しい世界だったのだ。
なーんて、ちょっと詩的に書いてみたかっただけです。
でも、本当に、教授もゼミ生も面白い人たちで楽しかった。
その中でも、「えこひいきの会」メンバーは厳選された感がすごくて、ただの教授の個人的好みなだけなのだけど、ちょっとやっぱり誇らしい気持ちがある。
今回の「えこひいきの会」行きたかったな〜〜東京行きたいな〜〜はあ。
勉強がんばろう。
p.s.ひよっこも過保護のカホコも、怒涛の展開に入ってますね。目が離せません…
先日、彼氏に「8m位離れたところから目を細めると有村架純に似てる」と言われました。腹パンはしました。
思いやりの誕生日
昨日は彼氏の誕生日だった。
昼前に集合して、めちゃくちゃおいしいケーキ屋で2人ぶんのケーキと、2と4のろうそくを買って彼氏の部屋の冷蔵庫に入れる。
雨降りそうだね、と洗濯物を2人で部屋に干していると案の定ザァザァと雨が降り始める。勘が冴えている。
ちょうど土用の丑の日なので、うなぎを食べに街へ出る。一番安いうな重と、うまきを頼んでお腹いっぱいにした後、
こないだ行ったオシャンなカフェへ、食後のコーヒーを飲みに。
この間は空いていたけど、昨日は割と混んでいて、お洒落ボーイやお洒落マダムたちが談笑する空間になっていた。
夜ご飯までの時間、映画を観たいという話になり、上映中の映画を探す。
ちょうどいい時間に、みんな大好き「ミニオンズ」シリーズの、「怪盗グルーのミニオン大脱走」が駅前のトーホーシネマズでやっているのでそれを見に行った。
グルーの双子の兄弟が出て来るのだけど、最後のクレジットまで聴き覚えのある声が誰かわからなくて、結局、生瀬勝久だったんだけど、なんか「あぁーーーーー!!」という、やっとわかった時の爽快感はなくて、じめっとした。
天気のせいかな。
ミニオンたちは相変わらず可愛かったけど出番は少なかったな。でも、刑務所でのミュージカル調な脱出劇はめちゃくちゃよかった。
ちょうどよい時間に映画を観終わり、晩御飯を食べに行く。
あらかじめ、何が食べたい?と聞いておいた時、案の定「分厚い肉」と言われていたので、ちょっといい焼肉屋を予約していた。
サーロインの分厚い肉を始めとして、良い肉を腹八分目の法則で食べようと決める。
どれも、脂が乗っていて美味しい。
ビールも、昼間に我慢した甲斐があってとても美味しかった。
お酒の二杯目。
そういえば彼氏は赤ワインが好きだったな、と思い出し、(私はちょっと苦手なのだけど)赤ワインをハーフボトルでもらうことを提案したところ彼氏も「いいんじゃない」と賛同したので頼む。
しかし、彼氏がグラス一杯ほど飲んだところで「俺、赤ワインダメだわ、、きついな」と言った。
「え、前好きだったじゃん」と私。
「それ、かなり前の話でしょ…」と彼氏。
どうやらお互い苦手なのに、どちらも「相手が飲みたいというなら、まぁいいか…」となり、そして彼氏は「やっぱダメだった」らしい。
そして彼氏のために頼んだ自称・酒豪の私もグラス3杯ほどでダメだった。
お互いに「そうならそうと言えよ…」みたいな空気になったけど、そもそも私が、自分が苦手なものを勝手な思い込みで提案してしまったのだから、申し訳なかったな、と思い直す。
グラスワインを4杯飲んだと思えば、そんなに気にするほどの値段ではなかったので、そのワインは料理用に持ち帰りにしてもらい(もったいない)、それぞれ彼氏は梅酒のロック、私はあらごし林檎酒の水割りを頼んだ。
私は滅多に甘いお酒を飲まないので「明日台風が来るんじゃないの」と彼氏に驚かれた。
甘いので口直ししたいくらい、赤ワインが苦手なのだ、と言うのはやめておいた。
私と彼氏は、仲が良いし、お互いに思いやることもできるし、「ありがとう」「ごめんね」をちゃんと素直に言い合うことができる間柄だけれど、
たまに、勝手な思い込みで、
優しさだと思って無理をしてしまい、
またそういう時に限ってその優しさが裏目に出たりして、
そうすると自分が無理をしているから「やってあげたのに」感がこみあげてきて、
気まずくなる。
ということが多々ある。
押し付けがましくなく思いやろうという意図から、ちゃんと確認したりせずにそういうことになってしまっているので、もはや押し付けがましくてもいいから、その都度、ちゃんと言葉にして確認しようと思った。
相手のことを想っているが故の優しさが、ただの押し売りにならないように気をつけなきゃいけないな。
結局、いい脂を腹八分目どころか満腹まで詰め込んでしまい、ワインの一件は忘れて陽気な気分で、彼氏の部屋で待つケーキの元へ帰る。
ケーキは幸せの元だ。
誰だかが、好きな食べ物をケーキと即答できる女の子になりたい、みたいなことを言っていたけど、ケーキを食べている最中だけは、好きな食べ物はケーキだと言い切れる。
食べ終わった瞬間からはわからないけど。
彼氏の24歳の抱負は、「色々頑張る」だそう。
そうだね、頑張ることは大事だね。
頑張れる人は偉いです。
頑張ろう。
こないだの、オールナイトニッポンGOLDの満島ひかり回、めちゃくちゃよかったですね。
25歳、スタート地点にいる気分で
犬が最近、脱走することに関してだけ賢くなってゆく。
脱走しては捕まり、そして涼しい顔をして寝ている。
暑い中、仕事中に犬を追いかけ回す身にもなって欲しい。
昨日の夜、友達に急に呼び出されて、仙台の歌舞伎町こと国分町で飲んだ。
その友達は中高と一緒で、大学に入って1年ほど一緒に暮らしたこともある。
首都圏の国立大を出て、今は都内の音楽配信やメディアコンテンツなどをつくる会社に勤めている。
もうひとり、私と同時に呼び出された人がいた。
高校生の頃、その子も含めた三人で、同じ塾に通い、今はなき「おはしcafeガスト」のドリンクバーで茶をしばいた仲だ。(ハーブティや日本茶が充実していた)
こちらは地元の国立大の放射線学科に進み、今は市内の病院で放射線技師として働いている。
どちらかと二人では、数ヶ月に一度は会っているけれど、三人で会ったのは実に3年ぶりだった。
わたしたちは、三人でつるんではいたものの、それぞれ高校でよく一緒にいる友達が被らない。
部活も違うし、趣味もなにもかも一致しないのに(共通して好きだったのは、おはしcafeガストくらいなものだ)、一緒にいると心地いいのだ。
高校生の時からそうだったし、今回も変わらず昨日会ったかのようなテンションで集合した。
収拾かけられたの、ものの数時間前なのに。
そういう人って、いるもんだな。
ここ一年で、三人とも体調を崩したり病院に運ばれたりしていて、何だか25歳という年齢をかみしめる。
1人は、疲れた時にホルモン剤を飲んだら体に合わずアナフィラキシー反応で自分でタクシーを呼んで病院に駆け込んだらしい。
また1人は、部署が変わって忙しい時に、深夜に急性胃腸炎になって救急病院に運び込まれたそう。
昔、おはしcafeガストで話していたのは、塾でかっこいい人の話とか、好きな音楽の話とか、学校での面白い話とか、そういうごく普通の女子高生がしていた話で。
今、25歳になって話すことは、仕事の大変な話、お金の話、体調の話、そして昔話。
なんだか、可愛くなくなってしまったね、なんて笑った。それも楽しいのだけれど。
確かに、まだまだわたしたちは若いけれど、もう手放しに今だけを考えて突っ走れる時は終わりつつある。
仕事にしたら、この先のキャリアだけじゃなくて、結婚や出産という自分の人生含めて、今のままでいいのか、転職するとしても自分の気持ちだけじゃ決められないフェーズにきている。
学生の時に想像してたよりもずっと、この社会の「働き方」には幅がある。働き方は、「生き方」とも言える。
お金だって、新卒1〜2年目は貯金なんていくらもなくても何にも心配していなかったけれど、それこそ病院に運ばれたり体調を崩したりした時に、必要になるのはまとまったお金だ。
今後、結婚するにしろ、一人で生きていくにしろ、自分の財産というものをこれから徐々に形成しなければならないことを実感している。
そして、「身体が資本」だということ。
もちろん、仕事をする人間として、自己の体調管理というのはある程度責任を持たなければならない。でも、一生懸命仕事をしている人間にとれば、気をつけるにも限度があり、特に私たちくらい若ければ少しばかりの無理はつきものと言ってもいい。そして、ここ一年の私たちみたいに体調を崩したりしてしまうことがある。
そういう時に、私たちは「この身体」で「自分の生活」を支えているということを実感する。もしくは、万が一の時には他人を頼らざるを得ないことの情けなさと頼れるありがたさを思い知る。
そして私たちは自分の体を守ることも含めて仕事である、と身をもって知る。
すぐそこに見える三十代、その先にある四十代、私たちの体は今のままではいられないだろう。
それでも、「この身体」で「自分(どころか家族がいるかもしれない)の生活」を支えなければならないことを考えれば、今からこの身体をしっかり守っていこうと思う。
健康診断をちゃんと受けるとか、どうあがいても無理をするしかない仕事は離れるとか、ちゃんと栄養のあるものを食べるとか。そういうことでいいと思う。
これから、この先たくさんの「選択」が待っているんだろうと思う。
その喜びや、辛さや、痛さとか、哀しさとかはまだまだ想像するしかできない「ヒヨッコ」の25歳だけれど、それでも今、少しその選択にむけて「今だけを考えない今」を生き始めている。
結婚を決断する同級生も、
転職を決断する同級生も、
留学を決断する同級生もいる。
みんな、目に見える決断をしている人たちも周りにいる中で、
きっともうすぐ、自分にも来る「その時」に、少しでも多くの、良質な、選択肢を生み出すために、私たちは選択の準備をしているのだなぁと思う。
お題について書く気はなかったのですが、友達と話したことが割とそういう話だったので書いてみた。
そういえば私は24歳で仕事を辞める決断をしたのだったと、ここまで書いて思い出した。
この決断は忘れたくないけど、
25歳、これからの決断への意欲の方が高いみたい。
まだまだ若いぞー!
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ベトナム料理を食べながら
昨日は、学校のあと、気になっていた隠れ家カフェに寄ってオシャレにお茶した。
(自意識が邪魔して、入口しか写真に撮れなかった。)
夜ごはんは、高校の時の友達のCちゃんとベトナム料理をたべた。
Cちゃんは、高校のとき休学して1年間アメリカに留学していたので、元クラスメイトだけど年齢は1つ上。
タメ口で話すから、年の近いお姉ちゃんみたいな感じだった。
Cちゃんは、頭がいいのでめっちゃ話が面白い。Cちゃんにかかれば、箸が転んだことさえゲラゲラ笑える話になる。
たぶん病気や留学で苦労もしているのもあって、その優しさも飛び抜けて大人だった。
そんなサイコーなCちゃんだけど、会うのは実に4年ぶりくらいだった。
大学のときに、何人か高校の同級生で集まった時以来。
なかなか会うタイミングもなく大学を卒業し、Cちゃんは地元企業に就職し、青森に赴任していたのだ。
今月、Cちゃんが仙台に転勤になったことをSNSで知り、会うことになった。
久しぶりに会って、接し方に戸惑うのはものの2秒で終わった。
高校の友達に会うと、大学の友達とはまた違った安心感があって、テンションやしゃべり方まで、一瞬で高校生の時に戻ってしまう。
Cちゃんも、ここ数年で色々あったのだろうけど、高校生の頃の雰囲気がそのまんま残っている気がして、とても嬉しかった。
ベトナム料理屋に着いて、大学を卒業してから今までを簡単に報告し合う。
話を面白おかしく脚色して、ゲラゲラ笑った。
わたしの激務ぶりも、Cちゃんのホワイトぶりも、めっちゃ笑った。
過去の恋の話も、ちょっと憂鬱な家族の話も、最初は真面目に話しているのに、Cちゃんと話しているといつのまにか笑い話にしているから不思議。
あ、ベトナム料理もとても美味しかった。
仙台にはエスニック料理屋が少ないので、エスニックまみれの池袋で学生生活を過ごした私は近頃、東南アジアが不足していた。シンハービールとか。
エスニック料理とか好き?、と提案した時にCちゃんが「毎週食べてもいいレベルで好き〜〜」と言ってくれて、Cちゃんに対する好意が爆発しそうになった。
久しぶりに食べた生春巻きは天才的に美味しかった。
スイカビアというのを頼んだら、匂いがめちゃくちゃスイカバーでまた笑った。
そういえば。
大学の時に、Cちゃんとアメリカ旅行へ行って、Cちゃんがホームステイしてた家に一緒に泊まらせてもらった。
内陸の田舎の州で、軽い牧場くらいの敷地を持ってる家だった。家も大きかったけど、敷地のほとんどは草原と森で、野生の馬が走っていた。
私とCちゃんは、遠くに走る綺麗な毛並みの野生の馬を見て、ゲラゲラ笑っていたのだった。
その頃とは変わらずに、思い出話や近況報告報告で4時間近く喋り、笑い倒して別れた。
ほんとーーーに久しぶりに、「ゲラゲラ」と笑った気がして、お酒なんか少ししか飲んでなかったのに笑い疲れていた。
今度はビアガーデンに行く約束をして駅でわかれた。
帰りの電車で、読みかけの谷川俊太郎のエッセイを開く。
1980〜90頃の、いろんな新聞や雑誌への寄稿をまとめたものであるのだけど、なかなか笑える。
70歳のおじいちゃんが、恋と宇宙の話などするので、少し笑ってしまった。ごめんなさい。
無事家に着いて、湯船にこれでもかと浸かって、扇風機で汗を乾かす。
腹筋を最近サボっているのを思い出して、あわてて50回やってから寝た。
遺言書のすすめ(ちょっと訂正しました)
路線バスの運転手さんは、ほとんどみんなマイクをつけている。
「次、カーブします」とか
「お降りになる方、いらっしゃいませんか」とか
「発車します」とか
いわゆるアナウンスのためのマイクをつけている。
今日の朝、自宅の近くからいつものバスに乗った。
そこから駅まで、ずっとスピーカーからかすかに、運転手さんの歌う、決して上手いとは言えない演歌らしきものの、鼻歌が聴こえていた。
バス全体が、なんとも言えぬ空気に包まれていて苦しかった。
今日は学校だったのだけど、昨日わりと夜中まで勉強していたせいか、眠くて眠くて仕方がなかった。
心なしか、先生の授業も何だか少しばかりなおざりに感じた。
今私は法律を勉強していて、遺言についても、学習した。
難しい話はしないので聞いてほしいのだけど、
民法961条には
15歳に達した者は、遺言をすることができる。
とある。
知ってました?中3から、誰にも干渉されず1人で有効な遺言を作成できるんですよ。
有効な遺言というのは法律で形式が決まっていて、その形式をなしてないと遺言としての効力が発揮されない。
でも、一番簡単なものだと
・すべて自筆(PCやワープロ、代筆は不可)
・書いた年月日と氏名が書かれていること。
※最初に公開したものに生年月日って書いてしまってました!すみません!
・押印(認印でも可)
が満たされていれば、有効な遺言になる。意外と簡単なのだ。
私は18歳の誕生日から毎年、この遺言書を作成している。
べつに、私には相続で揉めるようなたいした財産はないんだけども。(だいたいの遺言書は相続のために書く)
ちょうど遺言書の重要さとかに注目が集まった時で、面白そう、くらいの感覚で書いたと思う。
毎年、前年のぶんは捨ててしまうのでうろ覚えだけど、18歳の誕生日に書いた遺言書の内容は
死んだら連絡してほしい友人の連絡先と、
なけなしの財産はカンボジアだかユニセフだかに寄付してほしいことと、
骨はたぶんうちのお墓に入れられてしまうけど、少しだけ太平洋に散骨してほしいことを書いた。
気がする。
何だか高校生の発想だな。
でも、これ以降毎年、死んだら連絡してほしい友人の連絡先は書いている。
19歳になって、家を出て東京で学生生活を送っていて、付き合う友人の連絡先は全て携帯に集約された。
そのうちLINEのidしか知らない友達も増えた。
facebookでしか交流のない人や、昔交換した電話番号しか知らない人もいた。
もし、自分がうっかり心の準備なく死んだ時。(これは割と大いにありえることだと思って生きている)
親はきっと、そういう人達に連絡をとることが難しいだろうし、もはやそんなことは煩わしいと思うかもしれない。(誰よりも悲しんでくれると思うから)
でも、今の私の大部分は、出会ってきた友人たちに大きく影響されて作られたと思うから。
だから、私が死んだことを知って欲しいな、と思う人は、なにも親と面識があったり、頻繁に会ったり連絡をとったりするひとに限らない。
そういう考えで毎年遺言書の最初は、
・携帯の暗証番号
・連絡してほしい友人の氏名と連絡先
・Facebook、TwitterなどSNSのIDとパスワード
という個人情報の羅列から始まる。
連絡してほしい友人たち、なるべく連絡網方式にしているけど、だいたい20人前後はいるので、ちょっと連絡する人に申し訳なくなっちゃう。
でも、私が死んでしまったということは、それくらいには大変なことなのでしょうがない。
遺言書が開かれる時、もう私はこの世にいないから責められることもないし、開き直りは大事。
あとは、コツコツ貯めている貯金の行方は、19歳の時からは毎年、赤十字の震災復興基金にしている。
親になにを残そうと考えるけど、毎年全然思いつかなくて(たぶん金品などは受け取ってもらえない)、遺言書とはちょっと違うけど感謝の手紙を書くようにしている。毎年書いているので慣れてしまって、ちょっとおべっかが過ぎて嘘くさくなってきた。
でも、それくらいが丁度いいのかな。
弟と妹には親などからもらった貴金属類をあげることにしている。
他に思いつかなかったから。
彼氏には、なにもあげない。
あげたらきっと捨てられない人だから。
なんだか、自分が死んだ時を想像すると悲しいし、
「ウワァァ死にたくないよオオオ!!」
となるんだけど、
人間いつ、うっかり死ぬかわからない。そう思うと色々思い残すことを思いつくので、遺言書でもって思い残すことを少しでも減らして、もしうっかり死んでも、死ぬ間際に考えることが
「え!うそ!今?色々ヤバイ!」
とかじゃなくしたい。
他のことをなるべく考えずに、ただ
「死にたくない!」
と生にしがみつきたい。
とは言っても、いざ死ぬ時になれば思い残すことなんて山ほど出てきそうなんだけども。
そういえば、この間テレビで終活について特集が組まれていたのを両親と見ていたときに、ちょっといいことを聞いた。
ちょっとした事情で、父と母は幸せに死んでも同じお墓に入れない。
それは悲しいと言った母に、父は
「俺が死んだ時に、骨をこっそり一握り持っておけ。それで自分が死んだ時に一緒に入れてもらえ。」
と言ったらしい。
たまにはいいこと言うじゃないか、父。
父と母の間では、父の方が先に死ぬということがほぼ確定しているのが可笑しい。
その夜のテレビで、死者が憑依したという霊媒師が、
「死んだ年月日が一緒じゃないと、こっちの世界(死後の世界)でもなかなか会うのが難しい」
と言っていたのを聞いて、母ががっかりしていた。
ともあれ、骨の話は今のところ私しか知らないので、弟とかに信じてもらえなかったらアレだし、ちゃんと遺言しといてね、と言った。
両親はまだまだ生きるつもり、死んだらその時、という考えらしく、
「エーーー、まだ早いよ〜〜」
と言っている。
まあ、それもアリなのかな。