ピンクとキラキラ

世界の終わりに寿司が食べたい。

遺言書のすすめ(ちょっと訂正しました)

路線バスの運転手さんは、ほとんどみんなマイクをつけている。

 

「次、カーブします」とか

「お降りになる方、いらっしゃいませんか」とか

「発車します」とか

いわゆるアナウンスのためのマイクをつけている。

 

今日の朝、自宅の近くからいつものバスに乗った。

そこから駅まで、ずっとスピーカーからかすかに、運転手さんの歌う、決して上手いとは言えない演歌らしきものの、鼻歌が聴こえていた。

バス全体が、なんとも言えぬ空気に包まれていて苦しかった。

 

今日は学校だったのだけど、昨日わりと夜中まで勉強していたせいか、眠くて眠くて仕方がなかった。

心なしか、先生の授業も何だか少しばかりなおざりに感じた。

 

今私は法律を勉強していて、遺言についても、学習した。

 

難しい話はしないので聞いてほしいのだけど、

民法961条には

15歳に達した者は、遺言をすることができる。

とある。

知ってました?中3から、誰にも干渉されず1人で有効な遺言を作成できるんですよ。

 

有効な遺言というのは法律で形式が決まっていて、その形式をなしてないと遺言としての効力が発揮されない。

でも、一番簡単なものだと

・すべて自筆(PCやワープロ、代筆は不可)

・書いた年月日と氏名が書かれていること。

※最初に公開したものに生年月日って書いてしまってました!すみません!

・押印(認印でも可)

が満たされていれば、有効な遺言になる。意外と簡単なのだ。

 

私は18歳の誕生日から毎年、この遺言書を作成している。

べつに、私には相続で揉めるようなたいした財産はないんだけども。(だいたいの遺言書は相続のために書く)

ちょうど遺言書の重要さとかに注目が集まった時で、面白そう、くらいの感覚で書いたと思う。

 

毎年、前年のぶんは捨ててしまうのでうろ覚えだけど、18歳の誕生日に書いた遺言書の内容は

 

死んだら連絡してほしい友人の連絡先と、

なけなしの財産はカンボジアだかユニセフだかに寄付してほしいことと、

骨はたぶんうちのお墓に入れられてしまうけど、少しだけ太平洋に散骨してほしいことを書いた。

気がする。

 

何だか高校生の発想だな。

 

でも、これ以降毎年、死んだら連絡してほしい友人の連絡先は書いている。

 

19歳になって、家を出て東京で学生生活を送っていて、付き合う友人の連絡先は全て携帯に集約された。

そのうちLINEのidしか知らない友達も増えた。

facebookでしか交流のない人や、昔交換した電話番号しか知らない人もいた。

 

もし、自分がうっかり心の準備なく死んだ時。(これは割と大いにありえることだと思って生きている)

親はきっと、そういう人達に連絡をとることが難しいだろうし、もはやそんなことは煩わしいと思うかもしれない。(誰よりも悲しんでくれると思うから)

 

でも、今の私の大部分は、出会ってきた友人たちに大きく影響されて作られたと思うから。

だから、私が死んだことを知って欲しいな、と思う人は、なにも親と面識があったり、頻繁に会ったり連絡をとったりするひとに限らない。

 

そういう考えで毎年遺言書の最初は、

・携帯の暗証番号

・連絡してほしい友人の氏名と連絡先

FacebookTwitterなどSNSのIDとパスワード

という個人情報の羅列から始まる。

連絡してほしい友人たち、なるべく連絡網方式にしているけど、だいたい20人前後はいるので、ちょっと連絡する人に申し訳なくなっちゃう。

でも、私が死んでしまったということは、それくらいには大変なことなのでしょうがない。

遺言書が開かれる時、もう私はこの世にいないから責められることもないし、開き直りは大事。

 

あとは、コツコツ貯めている貯金の行方は、19歳の時からは毎年、赤十字の震災復興基金にしている。

 

親になにを残そうと考えるけど、毎年全然思いつかなくて(たぶん金品などは受け取ってもらえない)、遺言書とはちょっと違うけど感謝の手紙を書くようにしている。毎年書いているので慣れてしまって、ちょっとおべっかが過ぎて嘘くさくなってきた。

でも、それくらいが丁度いいのかな。

 

弟と妹には親などからもらった貴金属類をあげることにしている。

他に思いつかなかったから。

 

彼氏には、なにもあげない。
あげたらきっと捨てられない人だから。

 

 

なんだか、自分が死んだ時を想像すると悲しいし、

「ウワァァ死にたくないよオオオ!!」

となるんだけど、

人間いつ、うっかり死ぬかわからない。そう思うと色々思い残すことを思いつくので、遺言書でもって思い残すことを少しでも減らして、もしうっかり死んでも、死ぬ間際に考えることが

「え!うそ!今?色々ヤバイ!」

とかじゃなくしたい。

 

他のことをなるべく考えずに、ただ

「死にたくない!」

と生にしがみつきたい。

とは言っても、いざ死ぬ時になれば思い残すことなんて山ほど出てきそうなんだけども。

 

 

そういえば、この間テレビで終活について特集が組まれていたのを両親と見ていたときに、ちょっといいことを聞いた。

 

ちょっとした事情で、父と母は幸せに死んでも同じお墓に入れない。

それは悲しいと言った母に、父は

「俺が死んだ時に、骨をこっそり一握り持っておけ。それで自分が死んだ時に一緒に入れてもらえ。」

と言ったらしい。

 

たまにはいいこと言うじゃないか、父。

 

父と母の間では、父の方が先に死ぬということがほぼ確定しているのが可笑しい。

 

その夜のテレビで、死者が憑依したという霊媒師が、

「死んだ年月日が一緒じゃないと、こっちの世界(死後の世界)でもなかなか会うのが難しい」

と言っていたのを聞いて、母ががっかりしていた。

 

ともあれ、骨の話は今のところ私しか知らないので、弟とかに信じてもらえなかったらアレだし、ちゃんと遺言しといてね、と言った。

両親はまだまだ生きるつもり、死んだらその時、という考えらしく、

「エーーー、まだ早いよ〜〜」

と言っている。

 

まあ、それもアリなのかな。

 

 

おなじ話

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ハートのキュウリと自意識

 

犬が毎日、ほぼ寝てる。

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死んだように寝ているので、心配になってたまに安否確認のために起こすけど、目だけ開けて「暑いからおきたくない…寝させてくれ…」

とつぶらな瞳で訴えて来る。

起き上がったかと思えば、それまでより涼しい場所を探してはまた寝そべり、目を瞑る。

 

犬はいいなぁ、気楽で。

 

わたしも、誰かに「いいなぁ、気楽で」と思われてるんだろうか、なんて考える。

 

学生の頃だったら、心の中で、猛抗議していたと思う。

なんであなたに気楽だと決めつけられなきゃいけないんだ、人の大変さを決めつけるな、とか言って。心の中でね。

 

いまでも、言われたら腹は立つけど、なんだか「ラッキー」と思えるようになった。かもしれない。

わたしはまあ、多分それなりに頑張って生きてるんだけど(自己肯定力)、その必死さが表に出ていないというのは、

まだまだ余力があるってことだし

競争相手を油断させられるってことだし

涼しい顔して頑張るというのは、なかなかカッコいいんじゃない。

とか思っちゃう。

 

必死さというのは、滲みでりゃいいってもんじゃない。

もちろん、時に滲み出た必死さはカッコいいけれど。

気楽だなと思われてるんなら、涼しい顔して成果だそうと思う。

 

 人と接する時に見えるものを額面通り受け取るのは簡単だけど、見えてるもののその奥にある努力とか大変さを想像することは、マナーであり思いやりだよな、と思います。

それが難しい時は、せめてそこを決めつけないようにしたい。

 

そんなことを言いながら、人にどう思われるか必死に考えてしまうのですけどね。

相手の想像力って、なかなか信頼するのは難しい。

気楽って思われたくなくて、頑張ってますアピールをついつい挟んじゃったりする自分がいる。

難しい25歳の自意識。

 

まあ、だから人のことを簡単に「いいなぁ、気楽で」って言っちゃう人って、浅はか?と思ってしまう。 

あ、ブーメラン。

わたしが言ったのは犬に対してだから、ちょっとは許してほしい。

 

そもそもこの文章がお気楽な気がしてきた。

 

 

今日の家族の夕飯、

なすと豚肉の胡麻味噌炒め

きゅうりとジャコのポン酢和え

トマトのおひたし

という三大夏野菜おかずにした。

 

我ながら天才的メニューだからSNSにでもあげて料理してますアピールでもしようかと思ったら、完成形を写真に撮るの忘れた。

 

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近所のおばあちゃんからもらったキュウリ、断面がハートだった。

 

これはちょっと、ハートとか柄じゃなくて恥ずかしくてSNSには上げられないな。

 

25歳、自意識の壁は高い。

 

医者の大沢たかお、それすなはち

母が今日、頭痛があまりにもひどくて市外の頭痛外来に行った。

開院時間直後に行ったにもかかわらず2時間待ちしたとのことで、さぞやお疲れかと思いきや、ルンルンで帰ってきた。

 

「病院どうだった?」(頭痛の原因や診察の結果はどうだったか、という意味)

と聞くと 

「あのね、先生がめっちゃイケメンだった!!!!」

 

大沢たかおにクリソツだったらしいです。そりゃよかった。

 ホームページで写真見たら、本当にクリソツだった。

ちょうどいい具合(キラキラしてなくて緊張感を抱かない感じ)のイケメンは本当に素晴らしい。

 大沢たかおが医者といえば「仁」ですね、観たことないけど。

 

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今日は、午前中に前職の先輩(以前記事に書いた人とは別)から電話が来た。

優しくない先輩 - ピンクとキラキラ

8年勤めた女性の先輩が退職するそうで、送別会で流すビデオに入れるコメントビデオが欲しいとのこと。

 

「今日の夜中から編集開始するから、明日の朝くらいまでにあればいいよ」

 

とフツーに言っていた。

やっぱりあそこは異世界だ。

働き方改革はまだまだ遠い。

 

 

明るい未来

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今日はずっと、クーラーをつけずに扇風機だけで、never young beachの「明るい未来」を聴きながら勉強していた。

汗をかきながらの方が、なぜか集中できるから不思議。

 

久しぶりに、去年の誕生日に彼氏にもらったMHLのワンピースを着たんだけど、めちゃくちゃ気に入っているのに母親は「東南アジアの小学生みたい」と言うの、地味にショック。

おさげを結おうと思ったけど、左右対称に三つ編みできなくて断念した。

 

 

 

昨日の夜、学校のあと、会社が休みの彼氏に「家まで車で送って」とLINEしたら「過保護のカホコ観てからならいいよ」と言われたので一緒に過保護のカホコ見た。

 

カホコの挙動不審さは、のだめカンタービレ野田恵のそれだよね。

 

 

帰ったらパジャマに着替えてすぐ寝てしまった。

 

今日こそ湯船に浸かるぞ〜

 

なんもない日

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思い出サウンド

ラジオから、懐かしい歌声が聞こえる。

 

私が中高生の頃、仙台で活動していた「カラーボトル」というバンドの曲。

 

仲の良かった友達に教えてもらって知ったこのバンドは、2007年にメジャーデビューし、地元メディアにもよく取り上げられていた。

10年20年

10年20年

 

いつの間にか自らは聞かなくなっていて、この曲で思い出すのはいつも中学生の頃の風景だ。

 

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朝、

田園の中を、風を切って自転車を走らせる。

いろんな虫や動物の声が流れていく。

1人でのんびりと山の麓の学校に向かう朝。

山の緑と空の青のコントラスト。

干からびたミミズ、ほぼ空の直産販売ロッカー、顔にかかる蜘蛛の巣。

ミミズクの鳴き声がする梅林の中をくぐって、まだ人気の少ない校舎に向かう。

窓が開け放たれた教室には、新鮮な空気が出たり入ったり。

裏が杉林なので、冬は花粉地獄だけど夏は涼しい。

 

放課後、

西日の差す教室。

管楽器の不規則な練習音、運動部の掛け声、ひぐらしの鳴く声。

部室のカビ臭い匂い、焦げたカーテン、古くて軋むパイプ椅子。

メトロノームロングトーン、指揮棒で指揮台を叩く音。

 

帰り道、

薄暗くてもうお互いの顔もよく見えない頃。

近くの商店の駐車場でだべり続ける。(近くにコンビニはない)

投げられる指定カバン、ゆれるダサい制服、消費されるうまい棒。(本当は買い食い禁止)

 

帰り際、うっかり私たちを見つけた先生の「早く帰れ〜」という気だるい声、私たちの「はーい」というその気のない返事、鳴らされる気の抜けたクラクション。

 

暫くして、喋り疲れ、ぼんやりとした闇をかわすように、散っていく私たち。

月によって映された自分たちの陰をおいかけてゆく帰り道。

ガマガエルや鈴虫の声、若い稲穂のざわめき。

少し遠くに聞こえる、国道の車の音。

大きな大木が、歯を擦り合わせて「早く帰れ」と先生みたいに言っている。

幼馴染の2人と並べる、シルバーフレームのママチャリ3台。

うまい棒なんてあっという間に消化して、ペコペコなお腹を抱えて家に帰る。

 

 

あの青春時代の夏を、カラーボトルは鮮やかに呼び起こす。

夢のようなあの時間は、もしや本当に夢だったかもしれないと思ってしまうところを、

確かにあの時間はあった、と力強く歌ってくれる。

 

地元賛歌

地元賛歌



 

 

かなり前に書いた暑中見舞いを、数日前に出した。

ぽつりぽつり、返事が返ってきていて、アナログ通信のよさをまた噛み締めています。

このブログを読んでるよ、と書いてくれた友人がいて、なんだか嬉し恥ずかし。(きみだよ!)

 

 

おやすみなさい。



マイホームグラウンド池袋が心配

池袋のゲリラ豪雨、雹など、大変そう。

母校の木が強風で倒れたらしいけど、木よりも脆そうな私の所属していた部室(プレハブ小屋)が壊れてないか心配。

 

さて。

今日のお昼は、前から気になっていた住宅地の小さいパン屋の人気カレーパン。

朝と夜を抑えることで、なんとかカレーパンを食べる糖質制限ダイエッター。

 

めちゃくちゃ美味しかった。

何と言っても中身のカレーがそのまんまでも食べれるくらい美味しい。

スパイシーなのだけど、ちゃんとパンとマッチングしている。

パンも、油を吸いすぎずにふんわりしていてとても食べ応えがあった。

 

昨日の外食から胃腸の調子がいいと、母も食べた。

15:00頃、そのせいかは分からないが、母の体調が急変。頭痛と吐き気で、夕飯の準備ができなくなる。

 

今日は、私は夜から学校のため、17:00には家を出なくてはならないので、早速ご飯作りに取りかかる。

 

そこに、来客!父が対応してはいるけど、最初のお茶だしと30分後にアイスコーヒーを出すので10分のロス!

 

とりあえずお茶だし後、冷蔵庫チェック。おとといの夜作ったカボチャと厚揚げの炊き合わせがあったので、これに青菜のおひたしを添えて彩り良いおかず一品。

もう一品は、父が鶏肉が食べたいというのでジンジャーチキン(豚の生姜焼きの鶏もも肉バージョン)を作る。

鶏肉は冷凍のがストックしてあるし、玉ねぎも生姜も常備しているのでめっちゃ良いメニューなのだ。

ただ、祖父と祖母は、鶏肉が食べれないため、お中元で届いた冷凍の煮魚を水に浸けて自然解凍させる。

あとは食べる直前に3分チンするだけ。本当にこういうお中元は重宝する。

 

ジンジャーチキンを焼きながら、味噌汁を作る。副菜に厚揚げがあることを忘れて油揚げと大根を切ってしまっていたけど、この際気にしてられないのでそのまま油揚げと大根とワカメの味噌汁を完成させる。

 

もう一品(我が家では一汁三菜が原則)ほしい、と思い冷蔵庫覗くと、ナスが中途半端に余っていたので、多めの油で焼いてめんつゆに浸して冷蔵庫で冷やした。これでなすの焼き浸し完成!簡単で良い。

 

ここまでで16:40。なかなかのペース。

やり残した仕事を少し雑に片付けて、父に直前の準備の手ほどきをして、テキストをリュックに放り込んで、なんとかバスに間に合った。

 

なかなかハードな午後の2時間だった。

バスで寝ている間に、外は土砂降りになって、傘を忘れたことに気付く。

少し濡れながら学校に着き、眠くなりつつも眠ることなく授業を終えた。

 

そんな私にご褒美か、彼氏がほぼ同時に仕事を終えて、一緒に帰ることになった。

 

帰ってギョウザとラーメンを食べるというので、コンビニでサラダを買うように言う。

 

家を出るとき急いでいたので、ヨレヨレの化粧で恥ずかしいと言うと、いつもと変わらないよ、と言われて腹パンした。

 

ゲリラ豪雨のあと、虹が出ていて綺麗だったけど、あまりにもみんながiPhoneをそちら側に掲げているので、恥ずかしくて写真撮れなかった。

 

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家のアジサイが枯れる間際、一番綺麗な瞬間だと思う。

 

 

私的「女子力」論(今更だけど聞いてください)

昨日買った、GUの半袖短パンのパジャマがめっちゃ可愛い。

 

ミッキー(シルエット)柄というのが、なんとも恥ずかしいし趣味じゃないんだけど、色と形が可愛かったから買ってみたら、案の定可愛かった。

 ミッキー柄も悪くない。

 

これまでは、ユニクロのリラコの短パンに適当なTシャツを着ていたのだけど、どうもだらしがない。

その上、ヨレヨレの姿の自分を鏡で見ても、明日も頑張ろう〜〜!とかならない。せいぜい、はぁ…今日も頑張ったな…である。

 

ミッキー柄のミントブルーの可愛いパジャマを着た自分は、仮にも美人でもスタイル良くもないけど、自分という範囲で褒めに値する可愛さで、

ヨシッ明日も頑張るゾ〜〜 となる。

不思議だけど、なっちゃう。

そういうの大事。

 

寝巻きというのに拘るのは、一種の「女子力」的なものだと思う。

「女子力」という言葉はあまり好きじゃないし、定義というのもいろいろだと思うのだけど。

あえて私の中で、「女子力」とよぶものがあるとすれば、

(他人に見える所かどうかに関わらず)

自分自身のテンションをあげてく力

みたいなものかなと思う。

見せる予定のない下着でもお気に入りのを着る、というのもまた然り。

冬のペディキュア然り。

 

自分の中の、「女」ともまた違う「女子」という部分のテンションを、キュッと上げること。

全員が全員とは言わないけど、多くの女性が仕事や家事や、恋や色々にモチベーション上げるきっかけにしているものだと思う。

 

よく、

男の為にオシャレしているのではない

男の目を気にしてネイルしているのではない

男に媚び売るために化粧しているわけではない

と主張する女性たちの多くは、

この意味での「女子力」を重視しているのだと思っている。

 

私は、以前の記事で述べた通り、ピンクとか、キラキラとか、一般的に女子っぽいとされるものが苦手。

サマンサタバサのバッグとか

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ディズニーとコラボレーションのアクセサリーとか

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ジルスチュアートみたいなやつとか。

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あと、あとなんだろう。全然思い浮かばないくらい興味がない。

 

こういうの、好きな女の子ばっかりじゃないし、嫌いじゃなくて少し取り入れてる人もいれば、私よりも嫌悪を示して一切取り入れない人もいると思う。

そういうグラデーションの中でもブレないのが、自分のためにテンションあげてく、という意味での「女子力」。

 

みんながみんな持ってるとは言わないけど、わりと多くの人がこの「女子的テンション」を持ってるんじゃないかと経験から推測する。

自分の好きなものを身につけたり手に入れたり見たり触れたりすることであがるテンション。

 

「キラキラが好き」「シンプルが好き」

「オシャレが好き」「服はこだわらない」

「コスメが好き」「化粧をしない」

「男に注目されるのが好き」「男に媚びる女が嫌い」

そういう色々とは、また別のところにあるのが、私のなかでの「女子力」につながる「女子的テンション」で。

 

それは、今回の場合私のパジャマはミッキー柄だったけど、決して女子っぽいとされるものとは限らない。

 

自ら、自分の中にある「女子」をくすぐって=女子的テンションをあげて、自分のモチベーションにする力、それが「女子力」だと思っている。

 

そういうモチベーションが上がると、どうなるかというと。

人に優しくなれたり、雰囲気が柔らかくなったり、気分が明るくなったり。

そういう対人的な能力?性格?も少し変わるのではないかな。

 

それは男に媚びることができるということではもちろんなくて、(合コンでサラダ取り分けたり、上目遣いができるのもまぁ含めていいとは思うんだけど)、自分の心に余裕を持って人に接することができるということ。

 

自分の女子的テンションを自ら上げ、

自分の心に余裕を持たせ、

対人関係や仕事を良好に運ぶ。

 

そういう自己コントロール能力を「女子力」と、私は呼びたい。

 

異論は受け付けますが、あくまで持論です。どういうものを「女子力」と位置づけるかは個人個人の価値観の自由だと思うので。

 

あと、誰しもが「女子」でいなきゃいけないとも思いません。女子的テンションがもともと高い人も低い人もいます。

これがなくても、対人スキルが高い人なんて山ほどいます。

そういうのを認めた上で、ひとつの「女子力運用論」としてお聞き下さいませ…

 

以上。ご静聴ありがとうございました。

 

テレビで聞く「女子力アップ」「インスタ(SNS)映え」「女子みんな好き」が嫌いです。

 

GUのパジャマはマジ可愛いです。

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コミュニケーションのズレについて

アブラゼミだかニイニイゼミだかの声が、途切れないんじゃないかと言うほど、

ジィーーーーーーー

と鳴いていて、かと思うと急に、

ジィ、ジジィ、ジジジィ、ジィーーーーーーー

みたいな変拍子になるから、本当に暑苦しい。

 

突然だけどわたしの母は虚弱体質だ。

昔からそうだったわけじゃなく、末っ子の妹を産んだ後、産後太りからダイエットしようとした時に大きく体調を崩し、そこから胃潰瘍や胃腸炎などを繰り返して、だんだん華奢になり体力がなくなったらしい。

入院や手術が必要な大きな病気はしてないけれど、1週間の半分は体調を崩している。

 

体調を崩していても、仕事はしなきゃいけないので、何とか起きては来るけれど、合間合間にはソファで横になっていないと持たない。

 

特に偏頭痛がひどく、疲労が溜まる以外にも、塩分の高いものを摂る、パソコンやスマホの液晶を見る、生理前のホルモンバランスの崩れなど、色んな原因があるらしく、なかなかコントロールできない。多分更年期もある。

近くの内科から、偏頭痛の薬を定期的に処方されてはいるけど、体が慣れたりしないようにするために、ここは体調崩せない、と言う時しか飲まない。

 

最近、糖質制限で家族と同じものを食べない私に母が言う。

「どうして美味しくものを食べれるのに食べないの?私の代わりに食べてほしいよ。せっかく食べれるんだから食べた方がいいよ、美味しく食べれるって幸せなんだからね。」

 

母が言いたいことは分かる。

母は塩分や糖分、体を冷やすものを摂ると体調を崩しがちだから、食べれるものを選んで食べなきゃいけない。でも、選んでばかりいられないから時たまそういうものを食べてしまうとすぐ体調を崩す。

だから、食べたいものを食べても体調を崩したりしない私を羨ましがるのは分かる。

 

でも、私だって食べたいもの食べたい、美味しくお米やパスタを食べたい。でも、すぐ太ってしまう。

肥満と言われる体脂肪率になってしまう。

 

確かに、仕事ができないほど体調を崩してしまう母に比べて、深刻さは全然違うけど。

だからって、好きなものを食べても体調崩さない=絶対的な幸せ、ではないでしょ、と少しイラっとしてしまう。

 

長くなってしまったけど、何が言いたいかというと、

自分が羨ましいことを、

「いいなぁ、わたしもそうなりたい」

と伝えることは、時に人への配慮に欠けることになりかねないってこと。

 

さっき、茶道をやっていて京都が大好きな母が、お茶会に出たいという意味で言った「京都行きたいなぁ」に対して、父が「でも京都は暑いよ?体調崩しちゃうよ?」と言った。

そういう、ちょっとしたズレが生まれてしまうのは、人間関係の中でしょうがないんだろうけど。

 

でもそういう所、細かに気づける人間になれたら、と思う。

 

 

 

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今日は投票(期日外)行って外食した。

 

ザ☆ピ~ス!

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